写真:乾口 達司
地図を見る桜井神社の位置するのは堺市南区の片蔵地区。その周囲には堺市から和泉市にまたがる広大な泉北ニュータウンが開かれており、はじめて当地を訪れる人は、付近一帯の近代的な景観にさぞ驚くことでしょう。しかし、桜井神社は有史以前より存在する古社で、社伝によると、その創建は推古5年(597)。祭神は誉田別命・足仲彦命・息長帯比売命で別名・上神谷八幡宮とも呼ばれました。
他の古社寺と同様、桜井神社も、戦国時代に兵火に遭い、多くの社が荒廃しました。そのなかで焼失をまぬかれたのが、現在、国宝に指定されている写真の拝殿。鎌倉時代に建造されたと考えられていますが、鎌倉時代に建造された神社建築のなかで現存するものはきわめて少なく、その点でも貴重な遺構です。
では、この拝殿のどこが特異なのか、みなさん、おわかりですか?まず挙げておきたいのは、建物を覆っている屋根。画面では少し見づらいでしょうが、屋根は瓦で葺かれています。神社建築の屋根といえば、一般に檜の皮を重ねた檜皮葺を連想する人が多いのではないでしょうか。実際、神社建築において屋根に瓦を葺く例は稀有であり、その一点からも桜井神社拝殿の特異性を垣間見ることができます。
写真:乾口 達司
地図を見る木材の組み方にも注目してください。写真は側面を外側から撮影した一枚ですが、屋根を支えるようにして、朱塗りの大小2本の部材(虹梁)が上下に平行して並べられているのがおわかりになるでしょう。大虹梁の上には山型の部材(カエルが股を開いているように見えることから「蟇股」と呼びます)を置き、その上に小虹梁が乗せられています。小虹梁の上にも蟇股を置き、反対側の側面から渡してきた部材を受ける形をとりながら屋根を支えています。この様式を「二重虹梁蟇股」と呼びますが、内部に天井板を張らず、そのまま木組みを見せている点、屋根が瓦葺になっている点などとともに、神社建築というよりも古代の寺院建築を彷彿させる構造となっています。
写真:乾口 達司
地図を見るその一方、正面にはめ込まれている写真の桟唐戸(さんからど)に注目してください。桟唐戸とは木枠(框)のなかに桟(骨組)を組み、そのあいだに板戸などをはめ込んだ木製の扉のこと。鎌倉時代に中国から伝来してきた新しい建築様式です。古代以来の寺院建築の様式とともに、当時、最先端の様式が積極的に取り入れられているのも大きな特色であるといえるでしょう。
写真:乾口 達司
地図を見るそして、もう一点、見逃せないのが、本殿へと向う通路(馬道)が拝殿のあいだを貫通しているという独特の形態です。この形態は「割拝殿」(わりはいでん)と呼ばれるもので、全国的に見ても、あまり見かけないもの。なかでも、桜井神社拝殿は奈良県天理市の石上神宮境内にある摂社・出雲建雄神社拝殿(国宝)と並んでもっとも古い割拝殿の遺構とされており、それが国宝に指定された要因の一つともなっています。
写真:乾口 達司
地図を見るここでご覧いただきたいのは、写真のように、通路の両脇に蔀戸(しとみど)が取りつけられていることです。祭礼時にはこれをおろして床にすることができるように工夫されている上、通路に面した柱には長方形の穴の痕跡が認められることもあり、本来は現在の通路部分も板敷の部屋として利用されていたと考えられています。
ということになると、現在の割拝殿の形態は建造当初からのものではないということになり、いつ、どのようなきっかけで現在の形態に改変されたのか、いよいよ謎が深まります。その点でも興味深い国宝建造物であるといえるでしょう。
桜井神社拝殿の特異性とその謎の一端をご理解いただけたでしょうか?その特異な形態もふくめて古建築好きには必見の建物であるといえ、ぜひ、ご自身の足で当地を訪れていただきたいもの。果たして、当初から神社の拝殿としての役割をになっていたのか、それとも、寺院建築として使われていたものを転用し、さらに割拝殿という形態に改造したのか。桜井神社拝殿の放つ謎の数々に挑んでみてください。
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(2024/9/17更新)
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