意外な名所・老舗の名店は必見!福山市「潮待ちの港」鞆の浦

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意外な名所・老舗の名店は必見!福山市「潮待ちの港」鞆の浦

意外な名所・老舗の名店は必見!福山市「潮待ちの港」鞆の浦

更新日:2014/09/08 11:30

村井 マヤのプロフィール写真 村井 マヤ 中国・九州文化的街並探検家

広島県福山市の「鞆の浦」。有名な仙酔島、美しい眺望で知られる福禅寺・対潮楼や、尊皇攘夷を主張する三条実美ら7人の公家が都落ちした「七卿落ち」ゆかりの場所「太田家住宅」、坂本龍馬ゆかりの宿屋や「いろは丸事件」交渉の場所など、数えきれない歴史的名所が、この小さな港町にひしめいています。でも鞆の浦には、まだまだ意外と知らない名所や名店があります。今回は、そんな鞆の浦の素通りしそうな名スポットのご紹介♪

秀吉の能舞台もある「沼名前神社」

秀吉の能舞台もある「沼名前神社」

写真:村井 マヤ

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鞆の浦の西に鎮座する「沼名前神社(ぬなくまじんじゃ)」は、平安時代の「延喜式」という法令にも記されている、古い歴史のある神社です。神功皇后が西国への下向の際、この浦に宿泊し、社がないことを知り斎場を設け、この浦の海中より涌出た霊石を神璽として綿津見命を祀られ、海路の安全を祈ったのが始まりとも言われています。

沼名前神社は、鞆祇園宮(ともぎおんぐう)とも称され、大綿津見命(おおわたつみのみこと)を祀る渡守(わたす)神社と、須佐之男命を祀る祇園宮が一緒に祀られています。

地元の方々には「ぎおんさん」と呼ばれており、2月第2日曜に「お弓神事」、7月の第2日曜の前夜には「お手火神事」という火祭りが行われます。

沼名前神社には、豊臣秀吉が愛用していた能舞台があります。秀吉が愛した伏見城内にあったもので、将軍秀忠より福山藩主水野勝成が譲り受け、3代水野勝貞がさらに沼名前神社に寄進したものです。組立式能舞台として日本唯一のもの。国の重要文化財ですが、この能舞台は、現役で活躍していますよ!

ほかにも由緒ある神社にふさわしい文化財も多くあります。ぜひ、訪れてみてくださいね。

鞆の浦には、もう一つ「淀媛神社」という神社がありますが、こちらは神功皇后の妹・淀媛を祀っています。淀媛は、大綿津見命を祀った沼名前神社の祭主を務めるためにこの鞆に残りました。後世、その徳を偲んで鞆港の南端平町の高台に神社が建立されました。現在も鞆湾の守護神として、氏神様として鎮座しています。

名物の最中「お祇園さん」は、創業100年の老舗和菓子屋さんで!

沼名前神社のお膝元にあって、ぎおんさんの甘味処といえばここ「鳴門堂」!小さな佇まいですが、創業100年を超える老舗の和菓子屋さん♪

最中「お祇園さん」は、鳴門堂の人気商品!上の写真の商品は、6個入り(600円/2014.8)です。黒ゴマを使用した甘さ控えめの餡がなんとも美味しい♪甘すぎないので、ついつい食べすぎちゃいそう!1個売りもしていますから、沼名前神社に行く前に寄ってもいいでしょうね。お土産にもお勧め!そんなに大きくないから、かさばらないのもいいですよね。

鳴門堂の名前の由来ですが、先々代のご店主が徳島県鳴門で菓子職人の修行をしたことに由来しているそうです。

「お祇園さん」以外にも季節の和菓子もありますから、ぜひ召し上がって下さいね。

場所は、沼名前神社の門前に位置します。写真下の手前右側が店の様子。奥に見えるのが神社です。

詳しくは下記MEMOを参照にしてくださいね。

名物の最中「お祇園さん」は、創業100年の老舗和菓子屋さんで!

写真:村井 マヤ

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「ささやき橋」で悲恋に涙、「山中鹿介首塚」にも涙・・

「ささやき橋」で悲恋に涙、「山中鹿介首塚」にも涙・・

写真:村井 マヤ

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西暦405年、百済から王仁博士(わにはかせ)が来日しました。鞆の浦は、潮待ちの港で、朝鮮などからの使節団が必ず寄航するところでした。そのため、大和朝廷から接待官が派遣されていました。その接待官として武内臣和多利(たけのうちのおみわたり)が派遣され、歓迎の宴などの官妓として江の浦(えのうら)という女性も派遣されました。

この時代、鞆の浦は今のような陸地ではなく、7島(ななしま)とよばれる中州で構成された地形で、中洲は橋でつながっていました。

江の浦と武内臣和多利は恋に落ちて、この中洲をつなぐ橋のたもとで逢瀬を繰り返していたのです。2人のデートはみんなの噂となって、上官が知るところとなりました。上官は2人に別れるように言いましたが、恋の炎は消せませんでした。これが、悲劇の始まりだったのです。2人は逢瀬を続け、とうとう捕まってしまったのです。

2人は、後手に縛られたまま石のおもりを付けられ、海に沈められてしまったというお話です。随分重い刑罰ですよね?今なら考えられませんが、そういう時代だったのでしょうね・・。

その後、毎夜橋のたもとで、2人のささやき合う声を聞いたと伝えられ密語の橋と語りつがれるようになったようです。

この2人を哀れみ、この小さな橋を「ささやき橋」というようになったようです。地形が変わって、陸続きになった後も、鞆の浦の人々によって語り継がれ、後世に伝えるため当時橋があった場所に、小さな橋を再現したそうです。

ささやき橋の奥に見える、ミラーのあたりにあるのが「山中鹿助首塚」です。山中鹿介・幸盛は、戦国武将尼子氏の家臣で、武勇と忠義の将として知られ、尼子十勇士の筆頭でした。上月城の戦い(1578年)で尼子勝久は切腹、鹿介は毛利軍に囚われ、当時鞆に陣をとっていた毛利輝元のもとへ護送されることになりました。しかし途中、高梁川の阿井の渡(備中国合:現在の岡山県高梁市)にて謀殺されたのです。その首は鞆に運ばれ、毛利輝元、将軍足利義昭によって首実検されました。ちなみに胴塚は岡山県高梁市の阿井の渡にあります。

有名な「願わくば、我に七難八苦を与えたまえ」と三日月に祈った逸話は有名ですよね。

でも、この首塚にはもう首はないとのことです。首塚に葬られた後、鹿助を憐れんだ尼子の家臣たちが、夜中に密かに掘り出し葬ったのだそうです。

鹿助は、ただ一心に尼子氏再興を願って散った戦国の誉れですよね・・。

瀬山陽ゆかりの対仙酔楼

瀬山陽ゆかりの対仙酔楼

写真:村井 マヤ

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鞆の浦の豪商・大坂屋が建てた楼閣で、江戸時代の思想家・頼山陽が1814(文化11)年、招かれてここに滞在したおり、この建物を「対仙酔楼」と名付けました(内部は通常非公開)。

頼山陽が名付けたとおり、仙酔島の正面に相対する門楼(門の上につくられた楼閣)で、「仙人も酔うほどの美しい島」が由来とされている仙酔島の風景は、文人だけでなくても心酔わせる風情ですよね・・。

頼山陽はここで「山紫水明」という言葉を編み出したと言われています。

瀬山陽の通った仙酔庵で「お肌ぴちぴちなりたい焼き」を食す♪

瀬山陽の通った仙酔庵で「お肌ぴちぴちなりたい焼き」を食す♪

写真:村井 マヤ

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対仙酔楼のお隣にあるのが「お茶処 仙酔庵」です。風情ある建物で、こだわりの「たい焼き」をいただきませんか?1階で、たい焼きと抹茶でも購入して幕末の儒学者・頼山陽も頻々と通い詰めたという2階へGo!

2階へと続く階段を上ると、昔ながらの落ち着いた和室です。アンティークな調度があり、ほっとするお部屋になっています。歩き疲れた足を延ばしてみてはどうでしょう・・。

頼山陽が見たのと同じ、この虫籠窓(むしこまど)からの向いの弁天島と仙酔島を見てみましょう。

こだわりのたい焼きは、「お肌ぴちぴちなりたい焼」という名前!こだわり素材で、隣接する「豆冨工房」さんのおからと豆乳を使った本格健康志向です♪ネーミングも面白い・・(*^_^*)

※名物「お肌ぴちぴちなりたい焼」(1個100円)

鞆の浦散策は、まるで宝探し!

今回の旅では、広島県福山市鞆の浦の意外と素通りしてしまいそうな「ささやき橋」や「山中鹿助首塚」、甘味処の「お祇園さん」や、こだわりの「お肌ぴちぴちなりたい焼き」という美味しいもの♡をさくっとご紹介しました!

鞆の浦で観光の際には、ぜひ忘れず立ち寄ってくださいね!

また、下記MEMO「たびねす/癒される港町・鞆の浦〜歴史ある建物でくつろげる贅沢な時間」や「たびねす/室町幕府将軍!足利義昭の見た風景〜鞆の浦から福山市津之郷」も参考にして下さいね♪

掲載内容は執筆時点のものです。 2014/08/12 訪問

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