写真:古都の U助
地図を見る島原(嶋原、嶌原とも書きます)の東入り口にあたる大門です。
京都市の有形文化財の指定を受けている高麗式の門で、脇には消化の為の用水と手桶があり、「出口の柳」が植えられて風情があります。
また周囲には、島原の女性がお客を見送った「さらば垣」がめぐらされています。
島原は室町時代からの歴史をもち、1641年六条三筋町からこちらへ移転した際の様子が島原の乱に例えられたところからその名がついたといわれています。
正式には西新屋敷といいまして、6つの町で構成されています。
写真:古都の U助
地図を見る角屋は島原で現存する唯一の揚屋建築として、国の重要文化財の指定を受けています。
舞や歌など高い文化を持つ島原ですが、江戸時代中期は俳諧が盛んになり、与謝蕪村も角屋に招かれているそうです。画家としてもすぐれた作品を残した与謝蕪村の、紅白梅図も所蔵されています。
数々の歴史に彩られる角屋ですが、「長州藩志士久坂玄瑞の密議の角屋」、「新撰組刀傷の角屋」、平安時代海外交易の為に置かれた施設、「東鴻臚館跡」など複数の石碑が塀の外周に沿って建てられています。
久坂玄瑞は18才の時に吉田松陰の妹であり、2015年度大河ドラマ「花燃ゆ」のヒロイン、杉文と結婚したそうですが、禁門の変で自刃、文は22才で未亡人となった後、40代になるころ長州出身の楫取素彦と再婚したそうです。
一般公開は一階部分となり、大人1000円
春季と秋季に公開、それぞれ月曜休み。
写真:古都の U助
地図を見る島原の置屋兼お茶屋の輪違屋です。創業は1688年で、当初は養花楼といったそうです。操業から320年以上、今も営業を続ける島原唯一の置屋です。
置屋は、五花街では芸・舞妓さんが在籍し、依頼に応じてお茶屋さんに派遣をします。
輪違屋には今も太夫さんが在籍していて、置屋営業をするとともに、明治になってお茶屋と兼業になりました。
お茶屋は料亭とは違って直接料理はせずに、仕出し屋などから取り寄せをして宴会を行います。それに対して揚屋は宴席と共に台所を持ち、調理ができるというのが大きな特徴になります。
写真:古都の U助
地図を見る現在の京都の花街は、祇園東、祇園甲部、上七軒、宮川町、先斗町の五ヶ所で、五花街と呼ばれています。かつてはそれに島原を加え、六花街とよんだそうです。
残念ながら平成8年島原歌舞練場は解体され、現在は島原老人デイサービスセンターの前に吉井勇の歌が刻まれた記念碑が建てられています。
祇園東の祇園をどりは唯一秋の開催、他の花街では春にそれぞれの劇場、歌舞練場で「をどり」の公演、秋にはそれぞれの趣向をこらした踊りの会が開催されます。
見てみたいけど、どれがいいか迷ってしまうという方には初夏に開催される五花街の合同公演「都の賑わい」がお勧めです。
写真:古都の U助
地図を見るかつてこの付近に西門が建っていましたが、昭和52年の交通事故で全壊してしまい、今は島原住吉神社の脇に西門跡の石碑が建てられています。
境内から少し北側には高さ20メートルほど、樹齢は300年といわれる島原でもひと際目を引く銀杏の巨木があります。
かつては住吉神社の境内にある御神木でしたが、明治の廃仏毀釈で一旦住吉神社が廃社となり、その後再興されましたが境内が大銀杏まで及ばなかったということです。
幕末の歴史ファンの間でも特に人気の高い島原エリアですが、新撰組が最初に屯所をおいた壬生にも徒歩15分ほどと近いので、あわせて見ていただくのもおススメです。
旅館やカフェもあり風情がありますが、近年は住宅街が形成され、案外車やバイクなどが通るので、気をつけて見学して下さい
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(2024/12/12更新)
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