写真:古都の U助
地図を見るここ近江神宮は、飛鳥よりこの地に都を遷した第38代天智天皇を祭神としてお祀りしています。天智天皇が詠んだ「秋の田のかりほの庵の苫をあらみわが衣手は露にぬれつつ」という歌が百人一首の第一番として選出されており、その縁から、近江神宮はかるたの殿堂とも言われます。1月にはかるた名人位、クイーン位決定戦、7月にはかるたの甲子園といわれる全国高等学校かるた選手権大会が催されるなど、数多くの競技かるたの行事が開催されています。
競技かるたを題材にしている漫画で、アニメ化もされた「ちはやふる」でも、石段から楼門を仰ぐこのアングルがポスターなどでお馴染みです。
写真:古都の U助
地図を見るこちらは外拝殿から内拝殿、本殿をのぞむ光景です。近江神宮は昭和15年の創建で、社殿は近江造り、または昭和造りと呼ばれる様式で、昭和の代表的な神社建築として国の登録文化財の指定を受けています。
昭和49年と、53年の調査の結果、大津京の中心は近江神宮から直線で約400メートルほど南、錦織2丁目のあたりと判明しています。
また南限とされるのは、天智天皇の孫にあたる大友与多王の建てた三井寺(園城寺)の辺りと考えらています。
大津に都があったのは僅か5年あまりです。壬申の乱のあと都は再び飛鳥に戻された為、多くの謎が残ります。しかし、現在では近江神宮一帯は住宅密集地となっているため、大規模な発掘調査の実施はなかなか難しいようです。
写真:古都の U助
地図を見るこちらの「漏刻」は、近江朝から平安末期まで採用された形式で、各国の国府などで使用されていたそうです。
天智天皇は中大兄皇子と呼ばれた皇太子時代の660年、日本では初めて水を用いた時計、漏刻を作成したと記録が残り、現在の奈良県明日香村、水落遺跡がその遺構とされています。
その後、壬申の乱の前年671年に、初めて漏刻を用い鐘を鳴らして人々に時間を伝えたといい、現在の暦ではその日が6月10日に当たる為、1920年に6月10日が時の記念日として制定されました。
近江神宮でも毎年6月10日に「漏刻祭」が行われ、各時計メーカーの新製品がお供えされたり舞楽の奉納が行われたりします。
写真:古都の U助
地図を見る境内には各メーカーなどから寄贈された火時計、日時計なども設置されています。こちらの日時計は岐阜天文台の矢橋徳太郎氏が考案した矢橋式日時計です。方角ごとに比叡山や琵琶湖に浮かぶ竹生島、大阪城や出雲大社、それに天智天皇にとって重要な場所、白村江の方角なども刻まれます。
写真:古都の U助
地図を見る近江神宮境内には、昭和38年わが国初の時計博物館として開館した「時計館宝物館」があります。櫓時計や香時計、江戸時代の懐中時計など、貴重な品々が展示されています。近江神宮自体は拝観無料ですが、時計館宝物館のみ有料となっています(大人300円)。
近江神宮の御鎮座70周年に当たる平成22年に、改装リニューアルされています。近江時計眼鏡宝飾専門学校が経営され、優秀な技術者を輩出し、時計の修理を請け負う時計工房も設けられています。
最寄り駅は京阪石山坂本線、近江神宮前駅となります。ちはやふるラッピング車両は平成27年3月末まで運行される予定です。京阪京津線と石山坂本線が一日乗り放題となる「湖都古都大津1day切符」の利用がおススメです。
お車の場合は、名神高速京都東インターから西大津バイパス(国道161号線バイパス)を走行して近江神宮ランプをご利用いただくか、名神高速大津インターから湖岸道路を経由し通常の国道161号線を走行、柳が崎交差点を左折して行くルートも。このルートは沿線に見所が多く、以前の記事で紹介させていただいた大津湖岸なぎさ公園の他、三井寺や琵琶湖疏水、柳が崎公園などもおススメです。
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(2023/12/7更新)
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