写真:吉川 なお
地図を見るその歴史は、スマトラ島の王子がマラッカへ漂流し、1396年に建国したマラッカ王国に始まります。明との貿易で発展し、その後、数世紀にわたってポルトガル、オランダ、英国の支配を受けてきました。その影響でアジアと欧米の風潮が混在する独特の文化が形成され、ポルトガルが築いた砦、オランダが建てた教会、マレーシアと中華系移民の混血のプラナカンが建てた豪華な邸宅など、その名残りを残す建物が街の随所に残り、貿易の中継点として繁栄した当時の様子を垣間見ることができます。
写真:吉川 なお
地図を見るマラッカの街歩きは、中心部に位置するオランダ広場を拠点にスタートしましょう。徒歩圏内に観光スポットが点在しています。トライショーというカラフルな飾りをつけた人力車の集合地点でもあるので、それに乗ってのんびりと古都の旅情を楽しむのもいいですね。
広場の周りには、オランダ支配を象徴する建築物が建ち並んでいます。中でもひときわ目を引くのはマラッカのシンボルである『マラッカ・キリスト教会』です。オランダ製レンガの赤土色の鮮やかさと白い十字架が際立つ1753年建立のプロテスタント教会で、釘を1本も使っていない高度な建築手法で建てられています。
広場の中央では英国のヴィクトリア女王をしのんで、市民によって造られた噴水が水をたたえ、英国製から日本のセイコー製に交換された時計台は、毎時0分に時を知らせてくれます。
キリスト教会の隣にある『スタダイス』という旧オランダ総督の公邸は1650年に建てられた東南アジア最古のオランダ建築。現在はマラッカの歴史を伝える博物館となっています。
写真:吉川 なお
地図を見るスタダイスから急な坂道を道なりにのぼっていくと、マラッカの街が見渡せるセントポールの丘に着きます。このあたりはポルトガル支配を伝えるエリアで、『セントポール教会』と『サンチャゴ砦』が建っています。ポルトガルはマラッカを貿易の中継地や東南アジアへのキリスト教布教の拠点にし、日本でなじみの深いフランシスコ・ザビエルは1549年にこの地から日本に旅立ちました。
現在のセントポール教会は、無残にも屋根が崩れ落ち、外壁が残るだけです。その朽ちた教会の前に立つのは、右手首のない白いザビエルの像。ザビエルの遺体は没後9ヶ月間、ここに安置され、その後インドのマドラスに、右手首のみ本国ポルトガルへ送られました。棺が置かれていた跡とポルトガル人の墓石が、在りし日の光景を静かに伝えています。
市内にはザビエルの偉業を讃えて、1849年にポルトガル人の子孫が建てた『セント・フランシス・ザビエル教会』もあるので、あわせてどうぞ。ここで見逃せないのは薩摩出身の日本人やじろうの像。このやじろうとの出会いがザビエルを日本に向かわせるきっかけとなりました。
海に向かっていくつもの大砲が並ぶ『サンチャゴ砦』は、1511年にポルトガル軍がオランダとの戦いに備えて建設した軍事拠点だったところで、当時は堅固な防壁を備えていましたが、19世紀に英国によって取り壊され、現在は石造りの門と大砲が残るだけとなっています。その放置された残骸を見ると、時の流れを感じずにはいられません。
写真:吉川 なお
地図を見るマラッカ川をはさんで西側のエリアは、プラナカン文化が色濃く残るエリアです。プラナカンとは、15世紀に中国大陸からマレー半島に移住した中国人の子孫のことで、現在も中国系マレーシア人女性と結婚して血筋を保っています。プラナカンの男性はババ、女性はニョニャと呼ばれ、ニョニャが作るマレー料理と中華料理がミックスした家庭料理はニョニャ料理と呼ばれ、マラッカ名物となっています。
プラナカンは中国とマレー双方のスタイルを融合した独自の生活様式を生み出しました。言葉や食事、衣類などはマレー様式、冠婚葬祭や祖先崇拝に関しては中国式を守りながらも、富あるものは生活の中にヨーロッパ文化をも取り入れ、独自のライフスタイルを発展させていきました。『ババ・ニョニャ・へリテイジ』は当時の大富豪の邸宅を博物館にしたもので、中国や欧州から取り寄せた豪華な家具や調度品から、彼らの生活様式と独自の融合文化をつぶさに見ることができます。
『チェン・フーン・テン(青雲亭)』は明の永楽帝の命を受け、南海への七度の大航海の指揮をした武将、鄭和をたたえて1645年に建てられたマレーシア最古の中国寺院で、典型的な中国南部の建築様式です。マレーシア最古のモスク『カンポン・クリン・モスク』は東西の建築様式が融合したスマトラ様式の建物です。
写真:吉川 なお
地図を見るチャイナタウンを東西に貫くジョンカー・ストリートはマラッカのメインストリートで、ショップハウスと呼ばれる長屋が並び、アンティークショップや雑貨店、レストラン、カフェなどになっています。繊細な刺繍の入った女性のシャツ、ニョニャ・クバヤやニョニャのたしなみだった刺繍を施したサンダル、中国風の絵柄にパステル調の色彩を取り入れたニョニャ食器など、プラナカンの伝統工芸品を扱う店も多く、旅の記念に入手したくなるものが並んでいます。週末の夜はナイトマーケットが開かれ、歩行者天国になります。
並行するヒーレン・ストリートは通称「億万長者通り」と呼ばれ、巨万の富を築いたプラナカンたちの豪邸が当時の繁栄をひっそりと伝えています。
欧州列強に支配されながらも独自の文化が息づいた街マラッカ。マラッカの風景は征服と繁栄の歴史でもあります。
あなたもマラッカの街を歩いて、歴史のなかで育まれてきた数々の異文化を感じてみませんか。
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この記事を書いたナビゲーター
吉川 なお
台湾の台北市に住む専業主婦の吉川なおです。台湾生活はもう8年ですが、常に新しい発見のあるこの国が大好きです。在住者だからこそ知っている生情報やお薦めのレストランなど、台湾の旅がより思い出深いものになる…
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