玉置山は標高1076メートルの大峰山系に位置する山。山岳修行の山であり、世界遺産・紀伊山地の霊場と参詣道の一部『大峯奥駈道(おおみねおくがけみち)』に属しています。
吉野と熊野を結ぶ修行の道は、熊野古道の中でもっとも厳しい道。標高千数百メートル級の山々が連なり、起伏の激しいその尾根道を踏破することが、修験者にとって最大の修行とされています。修験道では、古来、75箇所ある修行場をめぐって修行をする習わしで、玉置山はその10番目に当たります。山そのものが信仰の対象です。
この玉置山の9合目に『玉置神社』があります。ご神体は、名前の由来ともなっている『玉石社』の丸石。
悪魔退散のために創建されたというこの神社。
それだけにパワーはかなり強烈で、荒々しく強い。場所柄、交通手段が乏しく、なかなか行きにくい立地。「行きたくても辿り着けなかった」という話や「何度も行く予定を立てるけど、そのたびにアクシデントがあり行けなかった」などという話をよく聞きます。用のない人は寄せ付けない場所なんでしょうか。そんな話を聞くにつれ、自分にとってはどんな神社なんだろうと、心惹かれる方も多いようです。
境内には、樹齢3000年ともいわれる『神代杉(じんだいすぎ)』を筆頭に、常立(とこたち)杉・磐余(いわれ)杉・大杉など、幹周り8〜10m、高さ30〜50mに達する杉の巨木が鬱蒼と茂っています。手付かずの自然が生み出すそのパワーはとっても強烈。
この辺りは、高度的には杉や檜が生える場所ではないはずなのに、見事な巨杉群があり、それが霊場たる由縁でもあるようです。
地面には『枕状溶岩』という、独特の岩盤が多く露出しています。枕状溶岩とは、火山のマグマが水中に放出されて、チューブ状や枕のような丸みを帯びた形で固まったもの。それが積み重なっている姿も、また、霊場として不思議な雰囲気を生み出しています。
玉置山巨杉群と枕状溶岩は県の天然記念物に指定されています。
また、江戸期の山岳信仰を伝える重要な遺構として、梵鐘と社務所及び台所が国の重要文化財に指定されています。山岳修行が盛んな頃、宿泊所や食事をする場所として玉置神社は存在していました。社務所には狩野派の絵師・橘保春らの手による極彩色の襖絵があり、間近でしっかり見ることが出来ます。
不思議なパワーと空気に包まれた玉置神社にいると、身体から何かがスーッと抜け落ちていく感覚に囚われました。やっと訪ねた日は、雨。雨に煙る姿は、幻想的。五感が刺激される玉置神社。興味のある方は、一度行ってみてください。
熊野速玉神社の摂社(本社に関係の深い神様をお祭りしている神社)で、飛び地境内として、世界遺産に登録されている『神倉神社』。
熊野三山の神々が初めて降り立った場所(磐座)で、主神降臨の霊地といわれています。神倉神社は、熊野速玉大社の元宮で、速玉大社は元宮に対しての新しいお宮、つまり新宮とされ、この辺りは新宮と呼ばれるようになりました。
538段の自然石の急階段を登っていくと、ご神体の『ゴトビキ岩』がドーンと現れます。その迫力は圧倒的。のしかかるような巨岩。パワーが降り注いでくるように感じられます。
少し白っぽいゴトビキ岩は、市街地から確認することができるくらいの大きさ。
JRの新宮駅から徒歩で行くことができるというアクセスのよさ。階段を登るのはかなり大変ですから、雨の日や翌日はお勧めできません。でも、お天気のいいときに、ぜひ行ってみてください。新鮮なパワーをもらえるはずですから。
『花の窟神社』は、日本の神々の母であるイザナギノミコトが火神・カグツチノミコトを産み、そのせいで焼かれて亡くなった後に葬られたとされる御陵で、日本最古の神社といわれています。
高さ70メートルのご神体である大岩には、侵食で出来た穴がたくさい開いています。この穴に、神社のすぐそばの七里御浜で拾ってきた、白い石に願いを込めて収めると、願いが叶うといわれています。ちなみに、七里御浜では、白い石だけでなく色とりどりの綺麗な石を拾うことが出来ます。
このご神体の大岩の前に立つと、息が止まりそうでした。で、なんと、カメラのシャッターがどうしても下りなくなってしまいました。なので写真は携帯カメラで撮影したものです。母なる大岩だけに強いパワーが辺りに満ちているというなんでしょうか。
また、参道には、神が宿るという熊野最大級の見事な丸石を見ることが出来ます。
写真:SHIZUKO
地図を見る花の窟神社は、熊野古道の浜街道である『七里御浜(しちりみはま)』にそばに建っています。
20数キロにも及ぶ砂礫浜は、日本最長。願いをかなえてくれる白い石だけでなく、色とりどりの綺麗な石が浜に広がっています。
碁石で有名な『那智黒』という石は、この浜で拾われたもので、白い石は『アプライト』と呼ばれます。よく見るとキラッとした透明のガラス質が含まれていることが判ります。
かつては「拾い子さん」と呼ばれる方が、形のいい石を拾って業者が買い取るという商売が成り立っていたようですが、年々石の数が減り、今は規制されているようです。
遠くの山から川を流れて辿り着いた石たち。かつては、神社のご神体のように大きなものだったのでしょうか。角張って、ごつごつしていたのでしょうか。今では波に洗われて、おだやかに浜に横たわり、ただ移り行く時間を見つめているのかもしれません。
岩にまつわる神社を訪ねて、この浜に辿り着くと、一つ一つの石の時間がとてつもないものだと感じます。小さな石にも、それぞれの歴史があります。そんな岩や、石たちを訪ねる旅もいいものです。
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(2024/12/14更新)
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