写真:井伊 たびを
地図を見るこの「麻賀多神社」は、平安時代中期に制定された国家の法制書である「延喜式」神名帳に、国幣社・麻賀多神社と記されている延喜式内社である。往時勅使として大伴家持(おおとものやかもち)も参拝しているとされる。この由緒ある神社の境内の神秘さは多くの参拝者に厳かな感動を与えている。
また、本社(台方社)の北方1kmのところに奥宮(船形社)があり、伊津許利命の噴墓がある。また当社の西方1kmの印旛沼湖畔の鳥居河岸というところには大伴家持が寄進したという大鳥居(一の鳥居)が建っている。
写真:井伊 たびを
地図を見る現在の本殿は、「一間社」の流れ造りで、江戸時代中期初頭の寛永13年(1673)に建築されたものだ。創建時の特色がそのまま残っているとされる。
本殿に祀られている御祭神は、日本の国造りの神で、五穀の神様であり、産業を司る神として古事記・日本書紀に記されている。(古事記では和久産巣日神と記されている) また、この神社の社紋は麻の葉がデザインされており、最近まで赤ちゃんの産衣(うぶぎ)に麻の葉を入れて健やかなる成長を祈願しており、お子様の守り神でもある。
伊勢神宮の内宮(天照大神)の姉神で、外宮(豊受大神)は子神と記されており、香取神宮の御祭神(経津主命フツヌシノミコト)と鹿島神宮の御祭神(武甕槌命タケミカヅチノミコト)は弟神である。
写真:井伊 たびを
地図を見る境内左奥にある、東日本一の大杉(御神木)は、樹齢千三百有余年。昭和十年、千葉県の指定記念樹第一号に指定さている。古来より御神木には心霊が宿っていると言い伝えられ、延命長寿のご利益を授かることでも有名だ。現在はパワースポットとしても人気の場所となっている。
太さ9m、高さ40m。
ゆっくりとその周囲を回りながら、見上げれば大杉の生気が、人間という生き物の矮小さを気づかせてくれる。人生の喜怒哀楽など、千四百年の時の流れに比べれば、取るに足らないほんの一瞬のできごとだ。
写真:井伊 たびを
地図を見るこの神楽殿では、毎年7月の最終日曜日に催される例大祭において、神楽が奉納される。その神楽は、今から400〜500年ほど前に、常陸国からこの地方を訪れた万大夫一座が、由緒ある麻賀多神社の尊厳さに感銘し、伊勢神楽の流れを汲む十二神楽のひとつの獅子神楽を里神楽として奉納したのがはじまりだと伝えられている。
神楽は、「御神楽」「巫女神楽」「里神楽」の三部からなり、さらに「四方固め」「鈴振りの舞」「御弊の舞」「はながかり」等7種の舞に別れ、雄獅子と雌獅子の二匹で舞う。
この神楽は、印旛沼近くの鳥居河岸でも奉納される。
写真:井伊 たびを
地図を見る毎年7月最終日曜日には盛大な「例大祭」が開催される。
この祭りは、「豊作祈願」と「悪魔払い」の祭りとして古くから伝えらている。
現在、この神社とともに暮らしてきた台方と下方両地区が祭りを運営している。
この「例大祭」では、獅子舞の他に「神輿の渡御」、「山車の引き回し」等が行われる。
本殿右奥にある岡本天明の「日月神示(ひつきしんじ)」で知られる「天日津久神社」にも大変多くの崇敬者が訪れる。この「日月神示」とは、神典研究家で画家でもあった岡本天明に「国常立尊」(別名、国之常立神)と呼ばれている高級神霊より自動書記によって降ろされたとされる神示である。
その「日月神示」の最初の第一帖と第二帖は、第二次世界大戦中の昭和19年6月10日に、この神社の社務所で書記されたとされる。
麻賀多神社へ訪れるなら、もちろん7月の最終日曜日がベターだ。しかし、2月には節分祭、4月には御田植祭、など年間通じて様々な行事が行われている。いずれの時期に訪れても、境内に漂う尊厳さに浸り、樹齢1400年の大杉に出会えば、あなたの人生観が大きく変わることだろう。
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(2024/10/14更新)
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