江戸時代のなにわ文化の粋を伝える、大阪・住之江「加賀屋会所跡」

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江戸時代のなにわ文化の粋を伝える、大阪・住之江「加賀屋会所跡」

江戸時代のなにわ文化の粋を伝える、大阪・住之江「加賀屋会所跡」

更新日:2014/10/24 16:24

ナツキのプロフィール写真 ナツキ きのこの文化研究家、博物学者

加賀屋会所とは、新大和川河口部に当たるこの地の新田開発を手がけた加賀屋甚兵衛の屋敷を兼ねた役所跡。
大阪人も忘れつつある、近世なにわ庶民の文化教養の高さと心意気がそのまま残る加賀屋会所跡(=加賀屋緑地)をご紹介します。

まず、長屋門から冠木門の凝り様に驚く

まず、長屋門から冠木門の凝り様に驚く

写真:ナツキ

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丸みを帯びた起り屋根(むくりやね)の長屋門(現緑地事務所)をくぐり、ウバメガシの垣根を過ぎると屋敷への導入口に当たる冠木門(かぶきもん)に出ます。ここには、京都の相国寺の有馬頼底(ありまらいてい)の書いた額が掲げられています。
そして葺かれている大ぶりの瓦は、京都の大徳寺から取り寄せたものを用いています。

門から書院玄関口まで真っ直ぐに伸びた通路は遠近法を利用して実際よりも長く感じられる設計がほどこされていて、こだわりに満ちた屋敷・庭園への期待はいやが上にも高まります。

屋敷内に入る前に、庭奥に庭木としてはめずらしいかしわ餅に用いられる柏の木がまず目に入ります。
この北方系の樹木は、ユズリハと同じく、新芽が出てから葉を落とすことから子々孫々いやさかに栄えることを祈念して先代が植えられたものと聞きました。

贅の限りを尽くした書院の豪華な襖絵

贅の限りを尽くした書院の豪華な襖絵

写真:ナツキ

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宝暦4(1754)年建造の書院とそれに続く数寄屋風茶室『鳳鳴亭』は、現在では入手困難な部材をふんだんに使い、匠の技の冴えが随所に見られる素晴らしいもの。
そして圧巻は、玄関、六畳の次の間に続く八畳の奥座敷の金地・水墨山水の襖絵で、幕府お抱えの絵師、雪舟4代目・雲谷等益(うんこくとうえき)の作。

この都会のかくれ里の素晴らしさに感動した学者の西村天囚(てんしゅう)は当地を『愉園』と命名しました。
襖絵の上部の額は、その命名を中国(清代)の文人・羅振玉(らしんぎょく)が特殊象形文字で揮毫(きごう=筆を振って書画を書く)したものです。

当時の粋を極め、利休をしのばせる茶室『鳳鳴亭』

当時の粋を極め、利休をしのばせる茶室『鳳鳴亭』

写真:ナツキ

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数寄屋風(すきやふう)茶室の鳳鳴亭は、文化12(1815)年頃完成したもので、心字池に臨む舞台造りと呼ばれる珍しい高床式の柱組みで、今まさに飛び立とうとする鳳凰のように見えることから名づけられました。
欄間、ガラス戸、網代組の落天井などさまざまな意匠が凝らされており、廊下からの庭園の眺めはことのほか見事で、余りの居心地の良さに「時間よとまれ!」と叫びたくなります。

※ 写真は鳳鳴亭内部の客間 この隣の間に公式の茶会に用いる茶室があり、更に奥にはにじり口から入る利休風の茶室が合計2つあります。

庭園をめぐり茶室へと至る道行きは日常から非日常への通過儀礼

庭園をめぐり茶室へと至る道行きは日常から非日常への通過儀礼

写真:ナツキ

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茶室へ入る前に、小堀遠州を模した築山林泉(つきやまりんせん)回遊式庭園を巡り、さきほどのカシワ、枝垂れウメ、ソテツ、ハゼ、イブキ、エノキ、花ショウブ、そして、庭園木としてはこれも珍しいナギの木を鑑賞して、季節折々の庭園の魅力を満喫しましょう。

そののち、戦時中には空襲による延焼で焼失してしまいましたが、かっては2間四方(3.6平方メートル)の高殿造りの茶室であったという『明霞亭(めいかてい)』(現在は平屋となっています)と呼ばれてきたあずまやから露地を通って茶室に参りましょう。

往時は、手前の待ち屋『偶然亭』から、蹲(つくばい)で手と口をすすいで石橋を渡り、にじり口または貴人口から茶室へと入っていたのです。

※ 写真は庭園の小道から舞台造りの鳳鳴亭(左)と書院(右)を振り返ったもの。

ほのぼのと人心地をとりもどす幽冥の小べや・鳳鳴亭の茶室

ほのぼのと人心地をとりもどす幽冥の小べや・鳳鳴亭の茶室

写真:ナツキ

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にじり口より入る茶室内部は、自然光のみのほのかで柔らかい光で満たされた異空間となっており、陰影に富んだこの屋敷のもっとも奥ゆかしい粋に触れる思いがします。
この屋敷が、開発した新田の管理事務所としての会所機能を果たしながらも、時おり視察にくる代官や、当地を訪れた文人墨客のためのサロンとしてのもてなしの空間であったことがここにいたってはじめて理解されます。

近代合理主義精神の権化であった井原西鶴が『日本永代蔵』の中で、財を成すものの手がけてはならぬ事の筆頭に挙げられた「新田開発」。
それを率先して行った両替商の加賀屋甚兵衛の思いが、どのあたりにあったかをこの茶室に座して、しばし思いめぐらせてみましょう。

※写真はにじり口より入った茶室の内部

最後に

かっては上流の石川あたりから北上し、大阪城の北東付近で淀川(現在の大川)と合流していた旧大和川を、付け替え工事の末、そのまま真東へと伸ばし現在の流れとなったことも難波人の記憶から薄らいできています。

この河川付替え工事を率先して行った中甚兵衛と、その後に形成された沖積平野を新田開発した加賀屋(この功績により桜井姓を賜りました)の二人の甚兵衛は住之江区の最大功労者でありましょう。

その加賀屋甚兵衛の会所跡は、聞きしにまさる都会の中の別天地でした。
近くには摂津国一之宮の住吉大社もあり、是非一度のぞいてみてください。

・加賀屋新田会所跡(加賀屋緑地)

地下鉄四ツ橋線「住之江公園」駅より南東方向に歩いて15分。
電話06-6683-8151
開園時間 10:00〜16:30 建物内見学は16:00まで(入園無料)

※緑地をはじめ、区内のみどころ案内のガイドが必要な場合は、事前に住之江区役所区民企画室の下記まで

・住之江のまち案内ボランティアの会
TEL06-6682-9734

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掲載内容は執筆時点のものです。 2014/10/05 訪問

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