安産祈願から算額まで!奈良市有数の難読地名「帯解」歴史散策

| 奈良県

| 旅の専門家がお届けする観光情報

安産祈願から算額まで!奈良市有数の難読地名「帯解」歴史散策

安産祈願から算額まで!奈良市有数の難読地名「帯解」歴史散策

更新日:2014/10/10 17:23

乾口 達司のプロフィール写真 乾口 達司 著述業/日本近代文学会・昭和文学会・日本文学協会会員

奈良市の南方に「帯解」という名を持つ地域があります。皆さんは「帯解」と書いていったい何と読むと思いますか?答えは「おびとけ」。奈良でも有数の難読地名であるといえるでしょう。その地名の難解さが指し示すように、帯解とその周辺地域は古代以来の歴史遺産を数多く有しています。今回は「帯解」とその周辺地域に点在する歴史遺産をめぐりながら、当地の豊かで奥深い歴史性に迫ってみましょう。

帯解の名の由来?安産祈願所として知られる帯解寺

帯解の名の由来?安産祈願所として知られる帯解寺

写真:乾口 達司

地図を見る

帯解の名の由来には諸説があります。そのなかでもっともよく知られているのが、当地域の中核に位置する帯解寺(おびとけでら)の創建と関わるものです。

帯解寺は空海の師・勤操によって開かれた堂宇の一つ。平安時代に入り、当寺で祈願した文徳天皇の女御・染殿后(藤原明子)が後に惟仁親王(後の清和天皇)を懐妊・出産したことから天皇夫妻の尊崇を受け、伽藍の整備が進められました。その際、無事に帯が解けた(安産が叶った)という意味で、勅命により、帯解寺と名乗るようになったといわれています。

その後は子授け・安産の寺として広く信仰を集めることとなり、当寺で祈願をおこなった歴史上の人物としては、江戸幕府第2代将軍・徳川秀忠の正室・崇源院や3代将軍・徳川家光の側室・御楽の方などを挙げることができます。現在の皇后陛下や皇太子妃ら、皇族の方々の安産祈願もおこなわれているとのことですが、帯解の名が安産祈願に由来しているとは、意外や意外ですね。

妊婦の方はぜひ安産祈願を!境内に展示された腹帯の見本

妊婦の方はぜひ安産祈願を!境内に展示された腹帯の見本

写真:乾口 達司

地図を見る

写真は境内に並べられている腹帯の見本。帯解寺では「さらしタイプ」「コルセットタイプ」「ガードルタイプ」などオリジナルの腹帯も販売されており、安産祈願を受けられた方の腹帯には、御朱印までつけていただけるようになっています。腹帯を巻きはじめるのは妊娠して5ヶ月目の戌の日からであるとされています。したがって、戌の日は特に参詣者で境内がゴッタ返しますが、もちろん、安産祈願が受けられるのは戌の日に限りません。懐妊中の方はご自身のご都合に合わせて当寺を訪れ、腹帯をいただいてはいかがでしょうか。

もう一つの安産祈願所!聖武天皇勅願所・龍象寺(広大寺奥之院)

もう一つの安産祈願所!聖武天皇勅願所・龍象寺(広大寺奥之院)

写真:乾口 達司

地図を見る

帯解において、安産祈願所は何も帯解寺にだけ限ったことではありません。帯解寺の南方、200メートルほどのところに位置する龍象寺も帯解子安地蔵尊を本尊とした安産祈願所。寺伝によると、天平2年(730)、光明皇后の懐妊にともない、聖武天皇は行基菩薩に皇后の安産祈願を命じます。天皇の命を受けた行基は聖武天皇の勅願をもって光台寺(広大寺)の奥之院として当寺を創建。皇后は後に無事出産されたといいます。以来、帯解寺と同様、当寺も安産祈願所として皇室をはじめ多くの人々の尊崇を集めることとなりますが、奈良時代・平安時代の違いはあっても、一つの地域に由緒ある安産祈願所が2ケ寺も存在しているという点は、帯解ならではの特色であるといえるでしょう。

古代から開けた土地であったことを指し示すべンショ塚古墳

古代から開けた土地であったことを指し示すべンショ塚古墳

写真:乾口 達司

地図を見る

奈良・平安時代の安産祈願所が存在することからもわかるように、帯解は古くから開けた土地でした。そのことは付近に数多くの古墳が点在していることからもうかがえます。

写真は国道169号線をまたいだ東側に位置するベンショ塚古墳。その頂きには森常稲荷大明神が鎮座しています。5世紀前半に造られたと考えられている前方後円墳で、墳丘の全長は70メートル、周濠部分までふくめると106メートルという大きさを誇り、帯解周辺の古墳のなかでは最大の規模を有しています。粘土槨の埋葬施設からは革盾や短甲、眉庇付冑、馬具などが出土。その出土品の稀少価値からも、ベンショ塚古墳に埋葬された人物がいかに有力な豪族であったかがしのばれます。

これはいったい何!?円満寺の算額

これはいったい何!?円満寺の算額

写真:乾口 達司

地図を見る

八坂神社の境内の一角には、円満寺と呼ばれる小さなお堂が残されています。注目したいのは、そのお堂に掲げられた写真の額。額には文字とともに何やら不思議な図形が描かれていますが、これはいったい何だと思いますか?実はこれ、「算額」と呼ばれる数学絵馬なのです。算額は江戸時代に発達した和算の問題やその解答を絵馬として奉納したもの。問題を解けたことを神仏に感謝するとともに、みずからの成果を多くの人に知ってもらうため、神社仏閣にしばしば奉納されました。

奈良市の有形文化財に指定されている円満寺の算額(現在、掲げられているのは複製)は、天保15年(1844)の夏、当地の源治郎によって奉納されたものですが、当時、この地に和算を得意とするものがいたという事実からは、当地の教育水準の高さがうかがえます。天保15年といえば、そろそろ文明開化の足音が聞こえつつあった時代。この和算の才に恵まれた源治郎という人物、その後、どのような人生を歩んだのでしょうか。興味は尽きませんね。

おわりに

ほかにも、帯解の西方には、中世、大規模市場が開かれており、そのことは「今市」という町名からしのぶことができます。中世には大和国の有力国人・今市氏や越智氏ゆかりの今市城も築かれており、その痕跡も残されています。いまではのどかな田舎の一集落のようにしか見えませんが、帯解がいかに多様で奥深い歴史性を有しているか、ご自身の足で当地をのんびり散策してみてはいかがでしょうか?

掲載内容は執筆時点のものです。 2014/07/15 訪問

- PR -

条件を指定して検索

トラベルジェイピーで一緒に働きませんか?

- PR -

旅行ナビゲーター(在宅ライター)募集中!
この記事に関するお問い合わせ

- PR -