写真:橘 凛
地図を見る切り立った断崖絶壁の上に立つ旧市街(写真右側)と新市街(写真左側)を結ぶヌエボ橋が、ロンダのシンボル。この地方一帯はかつてローマ信徒、その後イスラム教徒が多く住んだ土地で、あえてごつごつとした岩肌の崖周辺に住むことで、天然の要塞として利用していました。15世紀にキリスト教団によって陥落した後も山賊が移り住み、戦いを繰り広げたといいます。ヌエボ橋は、18世紀に建設されました。
映画のワンシーンのようなダイナミックな風景は、一度見た者の記憶に強く残ります。実際、ヘミングウェイなど多くの著名人がインスピレーションを感じ、足しげく通ったそうです。ヌエボ橋は、邦画『アンダルシア 女神の報復』のロケ地としても話題を呼びました。
写真:橘 凛
地図を見る橋から見下ろすと、眼下98メートルの橋下の間から、グアダレヴィン川が滝となって勢いよく流れ落ちています。自然と人とが造り出した勇壮な眺めに圧倒されますが、高所恐怖症の方は近づかないようにしてください!
この橋の下には、写真左手に見えるように、水路が張り巡らされています。徒歩で下っていくことで、橋の下の滝壺や水路の様子を間近に眺めることができます。春先は、崖に桜に似たアーモンドの花が咲き乱れ、とてもきれいです。山道は険しく、滑りやすくなっているので、十分注意を。
写真:橘 凛
地図を見るロンダは、ミハス・カサレスやフリヒリアナに続く「白い町ルート」の起点とも言われています。アンダルシアとは、イスラム教徒が8世紀頃から800年にわたって統治した土地。この地方に点在する美しい白い壁の町々は、今でこそ観光地として大人気ですが、もともとはイスラムの人々が敵に方向感覚を失わせるように造ったものです。実際、迷路のような造りは迷いそうになるはず。
そもそも、アンダルシアという地名そのものも『アル・アンダラス(イスラム勢力統治下のイベリア半島一帯の呼称)』というアラビア語が由来です。スペインがヨーロッパのようで、そうでない不思議な雰囲気を漂わせているのは、イスラムの影響が色濃く残るゆえでしょう。写真は、ロンダ市街地を描いたアスレッホ(タイル)。
写真:橘 凛
地図を見るイスラム時代の面影を残す旧市街のサンフランシスコ地区は、太陽に照りつけられまぶしく反射する白い建物が並びます。旧市街には貴族の元邸宅が多く、いくつかは安価で見学可能です。おすすめはドン・ボスコ邸。テラスから見る景色がとてもきれいなのです。
新市街側の目玉は、スペイン最古の闘牛場。そう、ロンダは近代闘牛発祥の地としても有名なのです。アリーナでは、今も闘牛のシーズンになると、牡牛と闘牛士の熱い闘いが繰り広げられます。闘牛場内には博物館もあり、ロンダの情熱的な歴史を垣間見られるステージを見学することができます。
写真:橘 凛
地図を見る標高の高いロンダからは、アンダルシアの荒涼とした山々と平原の景色を一望できます。つい先頃の20世紀前半まで山賊文化が栄えたというのも納得ですね。市内には「山賊博物館」というレアな博物館まであるほどです。
秘境の地ロンダまでのアクセスは、アンダルシアの南の玄関口・マラガから車で向かうのが一番効率的です。一泊しなければもったいない!と感じる方は、ヌエボ橋すぐそば新市街側のパラドール(国営ホテル)がおすすめ。この絶景を鑑賞しながらの贅沢なステイが楽しめます。
いかがでしたか?
当時の建築技術の高さを物語る、圧巻のスケールのヌエボ橋、闘牛をはじめとした情熱が息づくロンダを感じていただけたのでは?歴史に翻弄され、統治者が変わり続けたこの町ですが、今も尽きないロマンを感じさせます。
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(2024/12/5更新)
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