空襲をくぐり抜けた境内が今も!尾張徳川家の菩提寺「建中寺」

空襲をくぐり抜けた境内が今も!尾張徳川家の菩提寺「建中寺」

更新日:2014/11/10 16:16

古都の U助のプロフィール写真 古都の U助 ブロガー
ご当地グルメのイメージが強い名古屋の町ですが、名古屋城をイメージしたという愛知県庁舎と名古屋市庁舎が新たに重要文化財の指定を受けるなど、魅力的なスポットも数多く存在しています。
尾張徳川家ゆかりの場所も多く、名古屋城や徳川美術館、徳川園、名古屋市蓬左文庫などの他、徳川家菩提寺の建中寺もあります。
儒教を重んじ家康実子としての自覚がひと際高かったという、義直好みの壮麗な建中寺の境内を紹介します。

尾張徳川家の菩提寺「建中寺」

尾張徳川家の菩提寺「建中寺」

写真:古都の U助

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徳興山建中寺は1651年尾張徳川家第二代藩主徳川光友が、父であり尾張徳川家藩祖の徳川義直の菩提を弔うため建立した寺院です。

尾張徳川家は徳川御三家のうちでも筆頭とされ、徳川三代将軍・家光になかなか男子が産まれなかった頃、一時は義直の嫡子光友に家光の娘千代姫が輿入れし、義直が次期将軍候補になった事も文献に残ります。
また四代藩主吉通、六代藩主継友など相次いで将軍候補となりましたが、幕末まで尾張藩から将軍の誕生は実現しませんでした。

建中寺は天明5年の大火災で多くの建築が焼失しましたが、写真の総門の他、山門と、本尊・阿弥陀如来など多くの文化財も創建当初からのものとして現存しています。
参拝時間は5:00〜17:00で、境内の大部分が無料でお参りしていただけます。

創建当時から残る建中寺の山門

創建当時から残る建中寺の山門

写真:古都の U助

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1651年の建立で名古屋市指定文化財の建中寺山門です。
総檜の入母屋造りで、普段は公開されていませんが2階部分には釈迦如来を中心とした十六羅漢像が祀られます。
山門の南側には、現在は建中寺公園が広がります。
かつては公園の敷地に七つの塔頭が堂塔を構えていました。
春分と秋分の際には葵の紋の幕が張られるほか、扉にもしっかりと金の葵の紋の装飾があります。

建中寺本堂

建中寺本堂

写真:古都の U助

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天明の大火の後、1787年に再建された本堂です。
入母屋造り本瓦葺きで、間口は十五間、約27メートルあり、名古屋市内に現存する木造建築としては最大規模の建築となっています。
本尊の阿弥陀如来は止利仏師の作と伝わる阿弥陀如来で、開山の成誉廓呑上人がもといた茨城県の弘経寺から移したものです。

本堂の北に通常非公開の尾張徳川家霊廟があります。
もともと建中寺には歴代藩主の墓が設けられていましたが、戦後に宋春廟のみ千種区の平和公園に移転され、宋睦廟は小牧山に、それ以外は定光寺の徳川家納骨堂に収められました。
現在は藩主の墓としては、通常は非公開の二代藩主・光友の「源正公廟」のみが残ります。
また初代藩主義直の墓所は、愛知県瀬戸市の定光寺に「源敬公廟」があります。

白漆喰の経蔵

白漆喰の経蔵

写真:古都の U助

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白漆喰の宝形造りの経蔵は1828年の建立です。
一見すると二階建ての建築に見えますが、二つの屋根のうち下の部分は裳階(もこし)といって、風雨から建物を守るほかに実際より多層にみせて建物をより際立たせて見せる効果もあります。
建中寺では経蔵内部が有料公開となっていて、平成の保存・修理の後、大人300円、小人150円で公開されています。

また左奥の建物は、昭和39年再建された書院で、名工大竹利左衛門の設計、瑞雲閣の額が掲げられています。

除夜の鐘で賑わいます

除夜の鐘で賑わいます

写真:古都の U助

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建中寺鐘楼は1787年の再建です。
入母屋造り本瓦葺きで、台形の袴腰がついた様式です。
梵鐘は五百貫(1923kg)の重さがあり、林羅山の銘文が刻まれます。毎年大晦日には108回の除夜の鐘がつかれます。鐘をつくため100円の参加券が販売されますが、例年あっという間に無くなります。

その他の情報

建中寺には、紹介した以外にも御成門、開山堂など江戸時代から現存する貴重な建築が現存し、見学、参拝していただくことができます。
また節分や万燈会などの行事の際もおススメです。

地下鉄桜通線「車道駅」から約10分
市バス「東区役所」から約5分

掲載内容は執筆時点のものです。 2014/09/22 訪問

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