コスモス寺の異名で知られる般若寺は、南都を見晴るかす坂の上にあるため、平安末の平重衡の南都焼き討ちの時は、まずこの寺が重衡勢の本陣となり、この坂の民家とともに焼け落ちました。
また、後醍醐天皇の笠置落ちの際には、護良親王がこの般若寺に隠れ、唐櫃に身をひそめて難をのがれたと言われます。
そんな度重なる戦火を経て、盛時の面影はすっかりなくなってしまいましたが、今では花の寺として若い人たちの人気を集めています。
本堂前には、高さ12.6mという巨大な十三重石塔が建ち、塔身基部には薬師(東)、阿彌陀(西)、釈迦(南)、弥勒(北)の顕教四仏が刻まれています。
昭和39年に解体修理が施された折には、この石塔各部より仏像や法華経、五輪塔などが多数出現し、それらのものから建長5(1253)年頃の造立ということが判明しました。
本堂東側にも、きわめて大型の4.8mの石造りの笠塔婆があり、これらの石造物がいずれも、戦火で焼け落ちた東大寺再興のために来日し、この地で亡くなった明代の宋人石工・伊行末らの造立であることが趣意に刻まれています。
しかし、そんなことはさておき、若い人たちの関心の中心は、境内に居並ぶ江戸時代の三十三所観音石仏が四季おりおりの花に美しく映える姿でありましょう。
そんな親しみやすい風景に身を置くことこそが信仰心の芽生えにつながると思えるからです。
※ 写真は般若寺の国宝の楼門越しに見た十三重塔
般若寺の真向いには、ポニーや羊が人なつっこく出迎えてくれる植村牧場があり、ショップとレストランカフェもあります。
そこからやや西へ向かうと突然広場に出てレンガ造りのレトロ・モダンな建物にぶつかります。意外ですが、これが少年鑑別所です。
ここから、佐保川へと続く下り坂は、生活臭ただよう町並みと「奈良市水道計量器室」と書かれたレンガ造りの建物、草むす廃屋などが散見され、古都奈良のイメージから一変していきなり近現代へ連れ戻される風景が広がっています。
佐保川に沿い、ゆるやかに下ること10分の山際には、最初にして最後の「天皇の世紀」を画した聖武天皇とその妻の光明皇后陵が並んでいます。
奈良の都は、このお二方のチームプレイによって理想の都に築き上げられました。
ちなみにおしどり夫婦とは、仲の良い夫婦のたとえとして用いられていますが、おしどりは隙あらば浮気する鳥だそうです。
聖武天皇と光明皇后は、寄り添ったりはじけ合ったりしながら、最終的には律令国家の大成期の指導者としての役割を十全に果たしてその生涯を終えますので、おしどり御陵の形はまさに両者にふさわしいものと言えます。
今ではおとなう人もまばらな御陵の風に吹かれながら、文化国家としての極東の島国の来し方、行く末を反芻してみることもあながち無駄ではないと思われます。
聖武天皇陵から東へとり、旧奈良街道にもどったところが東大寺転害門のあたりで、通りに面したひなびたお店が向井醤油醸造元です。
明治12年創業以来昔ながらの製法で独自の醤油を作り続けています。宝扇ブランドの向井醤油は知る人ぞしる銘品。
奈良坂めぐりのおみやげに是非どうぞ。
奈良坂を下りきって、バス道を東に渡り、少し行ったところに五劫院の山門があります。元和10(1624)年に建立された本堂に安置されている本尊は、五劫という気の遠くなるような時間を思惟しているという阿彌陀如来(重文)でこの如来像が寺名の由来となりました。
この仏像は、東大寺を再興した重源が宋より持ち帰ったものとされています。毎年の8月上旬に特別ご開帳されます。
本堂脇から奥へ続く地所は墓苑となっていて、その入り口の堂内には珍しい姿の大きな地蔵尊が2体並んで立っています。
向かって左の地蔵こそが今回の旅の見どころの1つ、見返り地蔵です。
像高152cm、衲衣(のうえ)の裾を風になびかせながら歩く動きのあるお姿で、錫杖を軽く肩に当てがって身体は斜めに、顔をやや左に見返るポーズはなんとも愛らしく微笑みを誘います。光背には銘がほどこされており、東大寺の花厳恵順らが造立したとあり、永正13(1516)年室町中期の作。
もう1体の地蔵は像高は同じ152cm、正面を向いたお姿の立ち姿で、やはり室町中期に念仏講の人たちが造立したものと伝えられています。
院の前の辻を南へやや下ったところの雑司町には空海寺があります。この寺の本尊は秘仏ですが、等身大の地蔵石仏で、左右に聖徳太子、不動明王を配した石龕仏だと言われています。
そのかわりと言ってはなんですが、本堂前には常設の像高133cmの地蔵石仏が立っていて、光背の左右に十王像が刻まれています。
常に地蔵を信仰すれば、死後十王の裁きを受ける際に六道世界のうちで良いところに生まれ変わることができるとするものです。
奈良坂をのんびり散策した後は、今回紹介しました東大寺方面に続く聖武天皇陵前の道(一条通り)を東へ進むのもよいでしょう。
また、方向を西にとって、不退寺、海龍王寺、法華寺を巡り平城京跡へ行くルートも見ごたえのある楽しいものと思われます。
いずれのルートをとるにしても、目的地へと向かう途中の思いがけない出会いにこそ、あなただけの忘れがたい旅の拾い物があることを心に留めて存分に道草を楽しみましょう。
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(2024/9/18更新)
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