沖縄県南部に位置する海と緑と光あふれる南城市。那覇空港から車で約60分程の距離です。戦跡を現在に伝える為に、南城市玉城にある「南部観光総合案内センター」では南城市の観光に関する資料の展示や案内を行い、県内外へ情報を発信しています。
県道86号線に「南部観光総合案内センター」の看板は出ていますが、少しわかりにくいかもしれません。「朝日の家特別養護老人ホーム」の看板と民家が3軒ほどありますので、目印にすると分り易いでしょう。県道86号線から西に入ると、「南部観光総合案内センター」の建物はすぐに分ります。
修学旅行生や団体の見学客も多数訪れる「糸数アブチラガマ」の受付もこちらとなります。個人のお客様でも、時間帯により団体客と重なる事がありますので、事前の問い合わせをお勧めします。
見学には懐中電灯の持参が必要となりますが、用意が難しい方は別料金でレンタルが可能。またガイドも別料金でお願いする事ができます。
受付で入場料を支払い、予約まで時間があれば、施設内にある資料見学をしながら待ちましょう。時間がきたら、用意されているヘルメットを被り、懐中電灯を持って入口へと向かいます。
「南部観光総合案内センター」から「糸数アブチラガマ」の入口までは徒歩約3分程。その間には、全長270mの洞窟内の地図と概要説明掲載されている案内板があります。
「糸数アブチラガマ」は、自然の鍾乳洞です。「アブチラガマ」とは「アブ」は「深い縦の洞穴」「チラ」は「崖」「ガマ」は「洞窟やくぼみ」の意味。
沖縄戦時、もともとは糸数集落の避難指定壕でしたが、日本軍の陣地壕や倉庫として使用され、戦場が南下するにつれて南風原陸軍病院の分室となりました。
軍医、看護婦、ひめゆり学徒隊が配属され、全長270mのガマ内は600人以上の負傷兵で埋め尽くされたといいます。
現在の「糸数アブチラガマ」入口です。こちらは見学用に作られた入口。見学用といっても、手すりをしっかり持たなければ、降りる事が非常に難しい階段になっています。入口の天井も低く、写真通りに「頭上注意」です。階段を降り切ると一歩一歩探りながら、暗闇の中を懐中電灯の光を頼りに前進していきます。
重病人患者の収容場所や日本軍が作戦会議をしていた場所。
遺品だけではなく、日本軍が積み上げた石壁。自然洞窟の天井から滴り落ちる水。生命を繋いだ水を溜める井戸も当時のまま残っています。
ガイドを頼めば、懐中電灯を消して、全くの闇に押しつぶされるような息苦しさを感じる「暗闇体験講義」もして頂けます。
「糸数アブチラガマ」の現在の出口です。
当時はこちらが出入口として、利用されていました。
この付近が、住民の方が居た地区。側に監視所があり、壕を出ていく者、そして入ってくる者に銃口が向けられた場所です。
昭和20年(1945年)5月25日に病院が搬退したあとは、糸数の住民と生き残り負傷兵、日本兵の雑居状態に。その後、米軍の攻撃に遭いながらも井戸の水を飲み、出口から入ってくる光、希望の光を見ながら生き残り、日本軍が迎えに来て外に出られる日を、8月22日の米軍の投降勧告の日まで信じて待っていたのでしょう。
「糸数アブチラガマ」出口付近に「慰霊碑」があります。
昭和23年に集落や「糸数アブチラガマ」での遺骨が集めれれています。見学のあとはお立ち寄りください。
別料金になりますが、ガイドをお願いすると、語り継がなければいけないお話を聞く事ができます。見学にはガイド付きをお勧めします
※「糸数アブチラガマ」内は写真撮影禁止です。ご注意ください。
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