写真:井伊 たびを
地図を見る第51代平城天皇の時代。 大同4年(西暦809年)陰暦11月13日。 今の社殿のある辺りにあやしき光が現れ、数夜の後に雪の中からタケノコが生じ、一本が三つに枝わかれした不思議な「三岐の竹(ミツマタのタケ)」となった。
あまりにも不思議なできごとなので村人達がお祓いをすると、「われは大和国葛城山(ヤマトノクニ カツラギサン)の東高宮の岡(タカミヤノオカ)にいる一言主大神(ヒトコトヌシノオオカミ)なり、今この国の人々を災いから救うためにここに来た。すなわちこの『三岐の竹』を私と思って末永くお祀りしなさい。」とのお告げ。
村人達は非常に驚いて、この辺りの人の出入りを禁じ、お社を建てた。それからこの所を「三竹山(ミタケサン)」と呼ぶようになった。
当社縁起によると大国主命(オオクニヌシノミコト)の御子神で「国譲り神話」で有名な事代主命(コトシロヌシノミコト)と同一神であるとされている。
一言主大神に関する伝承は、『古事記』『日本書紀』の雄略天皇の条にみることができる。 雄略天皇が葛城山に狩猟に行き、そこで「面貌容儀、天皇に相似」の一言主大神に出会い、一緒に狩りをされたと伝えられている。
そのなかで一言主大神は「吾は悪事も一言、善事も一言、言い離つ神」とおっしゃられたことから「託宣(タクセン)神」「言霊(コトダマ)の神」として古くから信仰されている。
また「一言願わば、良き事につけ、良からぬ事(心配事、病気、災難等)につけ、良く聞き分けて御利益を授けてくれる神」とされ、「万能神」としての信仰を広く集めている。
写真:井伊 たびを
地図を見る本殿は、一言主大神を篤く信仰していた下総国守谷城主相馬弾正胤広侯(平将門の後裔)の寄進によって長禄三年(西暦1459年)に再建された。
現存する社殿は、元禄13年(西暦1700年)正月13日遷営のときに大修理が行われたが、その間の修復・焼失等の記録は残されていない。
本殿の造りは一見社流造(いっけんしゃながれづくり)で、屋根は桧皮葺(ひわだぶき)風の銅板葺。身舎(もや)外壁の左右に「鳳凰と牡丹」、後側に「鶴と牡丹」の彫物、脇障子には「三岐の竹」の彫物がはめられている。
この本殿は、昭和59年(西暦1984年)市指定文化財に指定された。また、拝殿は一般の寄進により、慶応3年(西暦1867年)に竣工されている。
写真:井伊 たびを
地図を見る拝殿左わきには近年、崇敬者から奉納された三岐の竹が植えられている。
写真:井伊 たびを
地図を見る「縁結び社」の横にある(なぎの木)は葉が切れにくい事から縁結びの木と知られ、落ちている葉を持ち帰ると良縁が得られると言われている。
写真:井伊 たびを
地図を見る平成14年9月より、毎月第三日曜日に境内で開催される「骨董市」。現在では約90店の出店がある。この市は茨城県最大級の骨董市で、茨城県はもちろんのこと、埼玉、千葉、栃木、東京、群馬などの 業者が自慢の「骨董品」を並べている。「いい仕事してますネェ〜〜〜!」と唸るお気に入りの「お宝」を、あなたも見つけに出かけてみませんか?
骨董品、陶磁器、古着、古民具など多数出品されている。約250台の大駐車場があるが、出かけるのなら「満車」状態になる前の朝早い方がオススメだ。また、毎回来場者に必ず景品がもらえる「無料の抽選会」(PM 1時頃まで)も行われている。
開催時間:AM 7:00〜 PM 4:00
入場無料、雨天決行
連絡先:有限会社 堀ノ内産業 (0285-84-7121)
茨城県常総市の「一言主神社」に行かれるのなら、茨城県一とも称される盛大な「骨董市」が催されている第三日曜日がオススメだ。
電車でなら「つくばエクスプレス(守谷駅中央西口)」よりタクシーで約20分、「関東鉄道・常総線・水海道駅」よりタクシーで約15分。だが、境内・境外に無料大駐車場があるので、できれば「車」での訪問がベターだ。常磐高速・谷和原ICからなら約15分。
是非押さえておきたいポイントとして、大国主命が祀られている「大黒社」や、縁起にまつわる三岐の竹が数本納められている「霊竹殿」。一言主神社鎮座地(大塚戸町)にある大塚戸古墳から発掘された「石棺」。さらに、ご本殿の真後ろにある杉の大樹「ご神木」などがある。
この記事の関連MEMO
この記事を書いたナビゲーター
井伊 たびを
人は、なぜ旅にでるのでしょう?日常という名の時空から飛び出して、本当の自分を取りもどすためでしょうか?旅先でのあらゆる出逢いが、新しい自分を創り出してくれたからでしょうか?旅することが、明日への糧とな…
トラベルjpで250社の旅行をまとめて比較!
このスポットに行きたい!と思ったらトラベルjpでまとめて検索!
条件を指定して検索