酒田を代表する観光名所となっている「山居倉庫」。
その昔、お江戸で日本一と言われた山居米。今でいうブランド米を保管する建物として、1893年に12棟が建設され、今もなお、米倉庫として使われています。
建物の裏側や側面に周ると、米の貯蔵に必要とされる空調管理が非常によく計算された作りになっているのを見ることができますよ。一見、平屋の屋根づくりのようですが、屋根は二重構造。屋根の間に空間をつくることで、米俵の熱の放散と、屋根からの熱を直接伝えない仕組みになっています。
倉庫の横に植えてある見事なケヤキが黒板壁との絶妙なコントラストを見せていますが、これもちゃんと米を美味しくするために配置されたもの。夏の暑さや冬の風を防ぐように一役かっています。現在、この倉庫の一部は食事処や土産物屋に、一番奥の倉庫は”庄内米歴史資料館”となっていて、当時の酒田の姿を垣間見ることができます。
酒田市山居町1-1-8
この建物は平成10年まで数々の文人や政財界の方が訪れる料亭として使われていた「旧割烹小幡」。
どこかで見かけたとおっしゃる方、いらっしゃるかと思います。そうです、映画「おくりびと」の中でNKエージェントという事務所として登場していました。この建物は割烹の別館となり、建物の内部はダンスホールとして使われていた時もあります。
この建物のある界隈は相馬屋(現相馬樓)をはじめとして割烹料亭通りと呼ばれる場所で、通りのあちらこちらにその面影が残っています。割烹料亭通りがあるくらい酒田の町は行きかう人で繁盛していたということを偲ばせます。現在、建物外部からの見学は自由です。
酒田市日吉町2-9-37
酒田で名実ともに豪商と呼ばれた本間家の3代目光丘(みつおか)が1758年に修学用の文庫を兼ねた寺院の建立を江戸幕府に願い出ましたが、許可はおりませんでした。それから167年後の1925年、八代目光弥(みつや)が本間家所蔵の蔵書2万冊と建設費などを寄付して「光丘(ひかりがおか)文庫」を設立し現在にいたっています。当時としては珍しい鉄筋コンクリート造りの建物は、光丘の願いを叶えたかのような寺院にも見えますね。
昭和に入ってから、この建物は酒田市立図書館として使われ、新しい図書館ができてからは、本間家や地方有志家による蔵書を収める光丘文庫(こうきゅうぶんこ)として使われています。
酒田市日吉町2‐7-71
定休日:月曜日・祝日・年末年始
先ほどの光丘文庫からさほど歩かないところに日枝神社があります。
日和山公園の一角にポツンと置かれた感じのこの随神門。実はすごいんですよ〜。
この随神門や鳥居の額を見落とさないでくださいね。随神門の前にある鳥居の額の字は”西郷隆盛”、随神門の額は”東郷平八郎”によって描かれたものなんです!
そして、地元の方くらいしか知られていないのですが、実はこの随神門の真下で柏手を打つと、日光の鳴り龍に引けを取らない音が聞けるんです。さて、あなたには龍は応えてくれますでしょうか!?是非、お試しくださいませ。
また、一般的に随神門をくぐると神社境内にすぐに入れますが、こちらは随神門をくぐって鉤型に参道が配置されていますので、この随神門だけ見て「何もないのね」と思わないでくださいね。
酒田市日吉町一丁目地内
酒田港を一望できる日和山公園の高台に設置されている六角灯台。1895年に作られた、木造としては最古級の灯台です。当初は別の場所にあったのですが、老朽化により引退することになった時、市民の熱い要望でこの場所に移築されました。
春は桜が咲き乱れ、夕陽の美しい所としても知られている公園に設置されたことで、ひと際、その存在が感じられます。
市民に愛されているこの灯台。これをモチーフに車止め、マンホール、東屋などが市内のあちこちに配置されているので探してみるのも楽しい旅の思い出になりますよ。
この日和山公園内には北前船として活躍した千石船を1/2のスケールで作ったレプリカがあったり、日本最古の方角石があったりと、港町・酒田を一望させてくれる打ってつけの場所です。
酒田市南新町一丁目
その昔、豪商たちが酒田の繁栄を残すかのように建物に手をかけているのが見て取れます。一つ一つの造りにこだわりをもって建てたものが、時代を変えても凄味を感じさせますね。市内には旧鐙屋などの豪商の家が公開されていますのでそちらを観た後に、こういう場所を訪れると、なお一層、昔の栄華をくみ取ることができるでしょう。
セラピスト たまや 瑞の*旅の薫香*
ノスタルジックな港町・酒田を精油でイメージすると
*ニアウリ、パルマローザ、グレープフルーツ*
それぞれ1滴ずつディフューザー等でお試しくださいね。
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