写真:乾口 達司
地図を見る「どんづる峯」の成立と深い関わりを持つのが、その南方に位置する二上山。古来、『万葉集』にも詠まれてきた由緒ある山ですが、有史以前は噴火を繰り返した火山でした。実は、どんづる峯は二上山の噴火によって堆積した火山岩屑が沈殿した後に隆起した凝灰岩層の広大な岩山なのです。その名は、遠くから眺めると鶴の一群が羽を休めてたむろしているように見えることから名付けられました。写真は望遠でどんづる峯を撮影したものですが、実際、白一色の光景が見るものに不思議な印象を与えますね。
写真:乾口 達司
地図を見るなかでも、注目していただきたいのは、断層の切り口の部分。凝灰岩の層理があたかも打ち寄せる波のように流麗で均整のとれた状態であることがおわかりになるでしょう。自然の作り出した造型の美しさこそどんづる峯ならではの魅力。美しい層理は各所で見られるため、ぜひ、ご自身の足で見てまわり、その美しさを堪能してください。
写真:乾口 達司
地図を見る隆起した凝灰岩層は数千万年の歳月を経るうちに風化が進みました。雨風による浸蝕も手伝い、雨水の流れにしたがって岩肌が削りとられ、やがて峡谷が形成されていきました。写真はその代表的な箇所。数千万年の歳月を経て、峡谷とその間に残る突起物とが形成されたかと思うと、自然の雄大さを感じさせますよね。
写真:乾口 達司
地図を見るどんづる峯を訪れたら、眺望の良さも堪能しましょう。標高150メートの岩山であるどんづる峯の上からは遠くの街並みが見渡せるほか、どんづる峯の成立と深く関わる二上山までも眺めることができるのです。写真の右手奥に見える2つの山が雄岳・雌岳の連なる二上山。いまでは奈良県を代表する低山としてハイカーにも人気の山ですが、この二上山が噴火し、どんづる峯が生まれたかと思うと意外に思う方も多いでしょう。
写真:乾口 達司
地図を見るどんづる峯の地下には、実は第二次大戦中の戦争遺産も存在します。本土決戦を目前にした旧陸軍が航空総軍の司令所として建設を指示したもので、大きく分けて、東西二箇所の壕から成り立っています。
写真は東側の壕付近を撮影したもの。谷の向う側の丘陵の地下に防空壕が張り巡らされており、出入りするための開口部が現在も残されています。東壕の一部は、現在、京都大学防災研究所附属地震予知研究センターの屯鶴峯観測所として使用されていますが、保存整備がなされていないために足場が悪く、一般の観光客が防空壕を探索する際はくれぐれもご注意ください。
どんづる峯がいかに幻想的なスポットであるか、おわかりになったのではないでしょうか。どんづる峯といえば、関西でも有名な心霊スポットに挙げられていますが、日中、訪れるぶんには決して恐いところではありません(お化けが出るかどうかはともかく、夜間は街灯もないので歩くのは危険)し、奇岩の数々は訪れるものを魅了するはず。ぜひ、ご自身の足でどんづる峯を見てまわってください。ただし、傾斜がきつく、崖状になっている箇所も多々あるため、歩きやすい靴、動きやすい服装でお出掛けになることをお勧めします。
この記事を書いたナビゲーター
乾口 達司
これまでは日本文学や歴史学の世界で培った見識にもとづいて数多くの評論や書評を執筆してまいりました。奈良生まれ、奈良育ちの生粋の奈良っ子。奈良といえば日本を代表する観光地の一つですが、地元民の立場からい…
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