「ブリュッセル王宮」は、元々1731年に火事で焼け落ちた神聖ローマ帝国君主、マリア・テレジア所有の邸宅跡に、マリアからの特別な許可を得た裕福なワイン商のフィリップ・ドゥ・プロフトが情熱を注いで再建、運営した高級ホテル「ベルビューホテル」に由来します。
ホテルはもっぱら、1789年のフランス革命から逃れてきた貴族達により利用されました。1795年にはフィリップの息子ルイがホテルを買い取った後、1816年、傍に建っていた別のホテルを買い取りました。その後1825年にその息子シャルルがホテルを買い取り、1827年に双方の建物が繋がりました。
1830年、ベルギー独立革命の際、ホテルはオランダとの中世を保ち、革命が終焉を迎えたのが「ブリュッセル公園」であったことから、ホテルであった王宮はそのモニュメントとしての役割も果たしています。
1866年にシャルルが遺した家族によって、ベルビューホテルはさらに傍にあった「フランドルホテル」の所有者に売却され、それにより建物同士が地下で繋がり、地上部分も拡大しました。
その後も所有者の変遷を経ながら、ベルビューホテルは1905年まで運営されましたが、レオポルド2世が末娘クレモンティーヌのため、18世紀後半の優美で軽やかな建築様式「ルイ16世様式」に全面改装し、クレモンティーヌは結婚までの1909-1910年の間、住んでいました。
そしてレオポルド3世となったブラバンド公と后が、1930年まで4年間住居として利用した後、1934年までその皇太子が居住していました。
その後、赤十字や王室美術館・博物館の時代を経て、現在に至っています。また右翼部分別館は、王宮の歴史を今に伝える「ベルビュー博物館」として使用されています。
「ブリュッセル王宮」の外観は、ベルギーが誇る石造りの建築であるため、宮殿というよりはむしろ議事堂や裁判所のようにも見えますが、内装は一転して繊細で洗練された豪華さが光ります。
王宮内はアイボリー色の壁に黄金の装飾で統一されており、ギルドの職人達によるクリスタルのシャンデリアが整然と並んでいる回廊は圧巻です。
洗練された室内装飾が印象的な「スモール・ホワイト・ルーム」は、ルイ・フィリップ・フランス国王が、ベルギー国王レオポルド1世に嫁いだ娘、ルイーズ・マリーへ婚礼祝いとして、可愛らしい刺繍の椅子や、などの調度品を贈った部屋のひとつです。この部屋にはルイーズ・マリー妃と彼女の両親の肖像画がかけられています。
他に、2013年にベルギー国王に即位したフィリップ国王陛下御一家が即位式の際に着用した公式の服も展示されています。
レオポルド2世により改装された「トゥローン・ルーム」には、ベルギーを構成するフランドル州とワロン州を表すレリーフが施されています。ベルギーの誇るギルドの職人達によるクリスタル・ガラスのシャンデリアと寄木細工の床が、この部屋を一層豪華に引き立てています。
レオポルド2世によって改装された、王宮の大広間にあたる「グランド・ホール」は、迎賓レセプションの間として使用されています。19世紀の家具と、ルーブル美術館とヴェルサイユ宮殿にインスピレーションを得たという壁面装飾の組み合わせが素晴らしく、1日の太陽の動きと共に、煌めきが変化する広間です。
「ブリュッセル王宮」がある場所は、旧ブリュッセル防壁環内の中心である世界遺産の「グラン・プラス」や「マヌカンピス」がある地域の東南側にあたります。この周囲は王室が利用するサン・ミシェル大聖堂や、最高裁判所、美・博物館、またベルギー各州のオフィスや各国の大使館が密集する公用地域です。
ベルギー王国首都としてのブリュッセルの表情が見られるのは、むしろこちら側でもあり、王宮が一般公開される夏季は特に必見です。「小さくて大きな国」と人々に言わしめる、ベルギーの実力を感じ取ることができます。
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(2023/12/8更新)
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