秋田城に古代の水洗トイレ!?秋田のシンボル久保田城も一緒にまわるお手軽旅

秋田城に古代の水洗トイレ!?秋田のシンボル久保田城も一緒にまわるお手軽旅

更新日:2015/01/08 17:11

秋田を訪れたらぜひ立ち寄っていただきたいおすすめの城があります。
まずは久保田城。現在は市民の憩いの場である「千秋公園」になっているものの、関東より北にあるお城の特色である土塁や門跡が残っています。

もうひとつは秋田城。秋田駅近くの繁華街から車で約20分という近さながら知名度はいまひとつ。
変わった見どころがあり、なんと発掘で出てきた古代の「トイレ」が再現されているのです。

秋田タウンのシンボル 千秋公園の久保田城跡へ

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江戸時代に佐竹氏によって築城された久保田城は、明治の時代となってから「千秋公園」として整備されました。
高い石垣や天守もなく、整備された池があるだけの公園に見えますが、土塁と枡形(ますがた)の出入り口を築いてしっかり守りを固めたお城だったのです。

久保田城へは二の丸まで車で登って行くことができ、駐車場から本丸までは歩いてすぐです。
二の丸から本丸へ続く長坂門跡のあたりは当時の様子がしっかり残っていて、本丸を目指して見通しが効かない曲がりくねった長い石段を登っていくと、気分はまるで城を攻める兵士のよう。

長坂門を通過し、石段を登った先にある御物頭御番所(おものがしらごばんしょ)の建物は中に入ることができます。こちらも必見のスポット。
江戸時代からの唯一の現存の建物で、門の開閉をしたり、入場者の監視をしていた詰所でした。2階建てで中に入ると広く、門に面しているところは時代劇に出てくる「お白州」のようです。裏には小さなお部屋もあり、当時は交代で休憩していたのかもしれない、などと想像しながら歩くのもお城めぐりの醍醐味です。

御物頭御番所から見上げたところにある門は本丸の正門で「一の門」とも呼ばれていました。2001年に再建された門で、高さは12メートル!攻めるつもりで石段の下から眺めると、高低差もあることから何倍も高く感じます。当時の侵入者にはプレッシャーを与えたことでしょう。

正門から先は本丸です。
現在は歩道として整備されている多門長屋が建っていた通路を歩くと久保田城のシンボルである御隅櫓(おすみやぐら)があります。
昭和の時代に鉄筋コンクリートで再建された御隅櫓は三重四階で、中は史料館となっています。江戸時代の建築当時のの御隅櫓は二重櫓でしたが、展望台を乗っけて再建された現在の御隅櫓は天気がよければ男鹿半島のほうまで眺めることができます。ぜひ展望台にものぼってみてください。

御隅櫓に登ったあとは城内の散策を

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御隅櫓の展望台から景色を眺めた後は、ぜひ周りを散策してください。
写真の帯曲輪門跡(おびくるわもんあと)の周囲には土塁があり、人の身長をはるかに越えた高さです。さらに道は折れ曲がっていて見通しが効きません。ここに門が建っていたとしたら、外部からはとても攻めにくいということが実感できます。
「お城」をイメージすると浮かんでくる「高い石垣」はないものの、関東から北寄りの城の特色である土塁は注意深く見れば攻め辛さが伝わってきます。

久保田城の遺構を活かした千秋公園は、長屋跡が歩道として整備されていたりと当時の様子を想像しながら散策できるのが魅力ですが、運がよければ秋田名物「ばばへらアイス」に出会うこともできます!散策のおともにぜひどうぞ。

古代の城へタイムスリップ!秋田城は隠れた名城!?

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秋田城と久保田城。紛らわしいですが現在「秋田城」と呼ばれるのは古代の城跡のほうを指します。

秋田城跡へは久保田城から車で約20分。
日本の古代(奈良時代〜平安時代にかけて)に作られた「城柵」の跡が整備されて公園になっています。
城柵とは、大和朝廷が設置した軍事的な施設で、政庁も兼ねていました。「城」というよりは「政治の場所」といった意味合いが強いかもしれません。
秋田城跡は公園になっていて、赤い外郭東門と土で作られた築地塀が出迎えてくれます。そして、なんとここには「古代の水洗トイレ跡」があるのです!

写真にある外郭東門を抜けると芝生が美しい公園が広がります。
古代の水洗トイレ跡はこの敷地内に再現されています。

これが古代の水洗トイレだ!

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芝生に覆われた公園を眺めながら歩くと突然、小屋が現れます。
この小屋は「古代水洗厠舎跡(こだいすいせんかわやあと)」と呼ばれている古代のトイレを再現したものです。
外観は現代のトイレの建物といっても違和感がないところが面白い。
建物は一段高くなったところにあり、下には大きな穴が掘られていています。

中は3つに分かれたトイレ!?

中は3つに分かれたトイレ!?
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小屋の中に入って見ると、中は2つの仕切りがあり、3つのスペースに分かれています。
発掘されたほぼそのままの状態である「ただ大きな穴が空いただけ」のスペース、穴の下の木樋(もくひ)が再現されたスペース、そして穴の上に木を渡し、当時を想像して復元されたスペースの3つに分かれています。
ただ「大きな穴があいている」状態を見た時は「どうやってトイレをするのか?」と不思議に思いますが、復元された様子を見ると足置き場があるので使い方がわかり、納得することでしょう。
なお、水を流す設備の跡が無かったことから、水を甕のようなものにため、手作業で流したのではないか?と考えられています。
「古代の水洗トイレ」と言われていますが、「人力の水洗トイレ」だったのです。

そして小屋の中で用を足して水を流すと、木樋を通って下に流れ、小屋の下にある大きな穴(沈殿槽)にためておけるようになっていました。
このトイレが良く考えられているというポイントですが、沈殿槽の下は当時は沼になっていて、沈殿槽にたまった上澄みだけが沼に流れ込むという仕組みだったとということです。
そこで思い出していただきたいのは、ここは当時の官公庁を兼ねた場所だったということ。国内の有力者だけでなく、大陸から渡ってきたゲストを迎える場でもありました。それゆえにこのような大きな設備が造られたのでしょう。

なお、公園内で井戸の跡が見つかった場所には井戸の跡が再現されています。当時の政庁はトイレもあって、井戸もあって、インフラが大変充実していたということがあります。秋田城跡をお散歩しながら当時の「官公庁」を想像してみるのもいかがでしょうか?

旅の終わりに・・・

秋田城と久保田城はどちらも公園として整備されていて天気の良い日の散策にはぴったりです。
ドライブついでに立ち寄って、高石垣と天守のある城とは趣が異なる城散策をしてみませんか?

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掲載内容は執筆時点のものです。 2014/09/01 訪問

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