乙女峠マリア聖堂〜島根県津和野のキリシタンの歴史を知る!

乙女峠マリア聖堂〜島根県津和野のキリシタンの歴史を知る!

更新日:2014/11/14 17:45

村井 マヤのプロフィール写真 村井 マヤ 中国・九州文化的街並探検家
島根県津和野町は、山陰の小京都と呼ばれる風光明媚な美しい町です。森鴎外の故郷であり、安野光雅美術館、津和野城跡、SLやまぐち号、銘菓「源氏巻」など沢山の名所や名物があります。そんな歴史・文化の宝庫津和野に、幕末から明治にかけキリシタンの迫害の歴史があったことをご存知ですか?津和野駅の裏手の乙女峠に、キリシタン殉教史跡であるマリア聖堂がひっそりと木々に囲まれ佇んでいます。さあ自然と歴史を感じる旅へ!

桜の名所でもある乙女峠へ軽くトラッキング

桜の名所でもある乙女峠へ軽くトラッキング

写真:村井 マヤ

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津和野町のキリシタン殉教史跡「乙女峠」は、峠ではありません。駐車場に車を停めてから、確かに軽くせせらぎが脇を流れる坂道を登ります。ちょっと軽めのトラッキングかハイキングといった感じでしょうか・・。日頃運動不足の方には、少々きつい坂道かも知れませんね。

峠でもないのに、なぜ「乙女峠」なんでしょうか?実は、島根県出身で、長崎に投下された原爆が原因で亡くなった医学博士永井隆氏の絶筆『乙女峠』が由来と言われています。『乙女峠』は、慶応3(1867)年「浦上四番崩れ」と呼ばれるキリシタン弾圧事件で、津和野に配流されたキリシタン守山甚三郎等の物語です。

この乙女峠は、春の桜が美しいと言われています。毎年5月3日には、「乙女峠まつり」が開催されます。津和野の城下町にある津和野カトリック教会から約2km離れた乙女峠まで、聖母マリア像を中心に信者の方々の行列が続くそうです。正午より荘厳な野外ミサが行われ、信者でなくても清らかな気持ちになれそうですね・・。

詳細は下記MEMO「乙女峠 マリア聖堂/みる・あそぶ/(一社)津和野町観光協会HP」をご覧ください。

キリシタンの殉教史跡乙女峠へ

キリシタンの殉教史跡乙女峠へ

写真:村井 マヤ

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現在は跡形もありませんが、弾圧があった当時、そこには廃寺となった光琳寺がありました。この光琳寺がキリシタンの収容施設となりました。浦上四番崩れで弾圧され、流罪になったキリシタンはおよそ3400人と言われています。
信徒の中心人物を最初は114名、津和野、萩、福山に移送されることが決まりました。配流はその後も続き、鹿児島や名古屋など20カ所が流刑地に選ばれました。最終的に津和野へは153名が流刑されたのです。キリシタンたちは、流刑地で厳しい拷問を受けました。
津和野に流刑されたキリシタンのうち37名が命を落としました。

そんな悲しい歴史があるとは、「乙女峠」という愛らしい名前からは想像がつきませんね・・。

明治時代に行われた悲しいキリシタンの弾圧の歴史

明治時代に行われた悲しいキリシタンの弾圧の歴史

写真:村井 マヤ

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キリシタン弾圧の歴史は、徳川250年間以上の厳しく激しいものでした。長い迫害に耐え、彼らは信仰を守っていたのです。慶応(1865)元年、当時長崎では「フランス寺」といわれていた大浦天主堂で、迫害に耐えた隠れキリシタンたちの存在が発見されます。大浦天主堂のフランス人宣教師プチジャン神父は、教会の正面に日本語で「天主堂」と書き、カトリック信徒が密かに信仰を伝えているのでは?という期待を抱いていたそうです。

同年3月17日、天主堂を参観にきた浦上山里村の杉本ユリら隠れキリシタン15人がプチジャン神父に、「ワタシノムネ、アナタトオナジ」(私たちもあなたと同じ信仰をもっています)「サンタマリアのご像はどこ」と聞いたそうです。
プチジャン神父は、大喜びですぐにフランスから持参していた聖母像の前まで導き、一緒に祈りを捧げたといいます。
250年間以上ものキリシタン禁制の中、密かに信仰を守り続けた「キリシタンの発見」だったのです。これは全世界に衝撃を与えた出来事だったのです。

ところが、キリシタンの苦難はまだ終わっていなかったのです。先にも述べました「浦上四番崩れ」という弾圧が始まるのです。

新しい時代の幕開けがそこまで来ているのに、不思議なことですね・・。当時の討幕寸前の幕府と西国の諸外国に対する微妙な感情や、幕府のメンツなどが複雑に絡み合った悲しい歴史の不条理ですね。

*写真は、「三尺牢」という立つこともできない檻に、閉じ込めて行われた拷問中にマリア様が現れ、信者を励ましている様子。この話は、拷問を受けた安太郎という青年の話を、守山甚三郎が覚書に記したものです。

美しいステンドグラスは、悲しい拷問の様子を描いたもの・・

美しいステンドグラスは、悲しい拷問の様子を描いたもの・・

写真:村井 マヤ

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乙女峠の可愛らしいマリア聖堂の内部には、美しいステンドグラスがあります。光が射すと愛らしい聖堂内部を優しく照らします。

何も知らなければ、美しいと思い見学をして終わりかもしれませんね・・。それも旅の楽しみ方。でも、もう少し知っていたらまた違った感想を抱くこともできるのでは?実は、こちらでは説明もしていただけるそうです。詳しくは下記MEMO「教会案内ー津和野カトリック教会HP」に問い合わせを。

実は、このステンドグラスには、拷問の様子が描かれているのです。ステンドグラスは、8枚あります。一枚一枚に描かれているもの中には、5歳の女の子もりちゃんに行った役人の拷問があります。飢えに苦しんでいるもりちゃんに、役人はおいしいお菓子を見せて言いました。「食べてもいいけど、そのかわりにキリストは嫌いだと言いなさい」と。ところが、もりちゃんは「天国の味のほうがもっといい」と答え、殉教の道を選んだそうです。何人かは、口で信仰を捨てたそうです。それでも、彼らは働いて食べ物を購入し、信仰を守っている人たちに差し入れたそうです。

拷問に耐え信仰を守り抜いた信者たちを忘れないように・・

拷問に耐え信仰を守り抜いた信者たちを忘れないように・・

写真:村井 マヤ

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明治25(1892)年、ビリヨン神父は乙女峠の隣の谷、蕪坂に葬られていた殉教者の遺骨を一つのお墓に埋葬したそうです。その後、第二次大戦後に赴任したネーベル神父(帰化後は岡崎裕次郎神父)が、記念聖堂やその周辺の殉教地も祈りにふさわしい場所へと変えていきました。神父様が始めた「乙女峠まつり」には、全国から沢山の信者の方が集まり、殉教者の方々を讃えるお祝になっています。

美しく整えられた聖堂周辺。是非、少し散歩がてらに奥にある「千人塚」へも足を運んでみましょう。千人塚は、昔飢饉で亡くなった方々の供養塔です。その隣に亡くなったキリシタンたちのお墓があります。聖堂のある広場から、千人塚までの600mの道行は、「十字架の道行」になぞらえられています。澄んだ美しい自然の空気にしばし身をゆだね、ゆっくり歩いてみませんか・・。

恋愛成就のパワーも・・受話器が二つある電話ボックス?恋フォン♪

この殉教地・乙女峠には、実に面白いものが設置されています。それは「デュエットフォン」というもの。これはなかなか珍しいので必見ですよ。デュエットフォンは、通話相手を含め、3人同時に会話できるのが特徴。1990年、NTTが電話事業100周年を記念して開発、設置されたそうです。津和野町や川崎市、香川県観音寺市などに計4台が現存しているとか・・。

この3者通話ができる珍しい電話ボックス「デュエットフォン」。実はなんでも、恋人や夫婦が同時に受話器をとると絆が深まるといういわれもあるそうですよ!老朽化で故障したままだったみたいですが、復活したそうです。愛み満ちた場所ですから、「恋愛の聖地」にもなるのかも・・♡是非お出かけ下さいね。

聖なる殉教地「乙女峠」で、静寂の世界にしばし身をゆだねてみましょう・・。

掲載内容は執筆時点のものです。 2014/10/26 訪問

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