太宰府の名の由来となった「大宰府」は、大和朝廷によって七世紀後半に「おほ みこともち の つかさ」として設置された、地方行政機関のことです。奈良・平安時代を通して九州西海道九国三島を治め、西の守りとして防衛を司り、大陸の国々との外務交渉を担当した役所でした。
このように重要な役所の場所を定めるにあたっては、古代から伝統的に中国王朝に伝わる風水の四神相応(しじんそうおう)の考え方が取り入れられたと言われます。
そこで地勢から北(玄武)に大野山、東(青龍)に御笠川、南(朱雀)に二日市温泉、西(白虎)に西海道のある場所に「大宰府」が置かれ、鬼門の護りとして竈門神社が創建されたと伝えられています。
風水では、大地の気は山の尾根伝いに流れるとされます。大宰府政庁跡を象徴する、江戸時代の亀井南冥(かめい なんめい)の「大宰府碑」をはじめ、三基の石碑のある正殿跡周囲に立つと、大野山を玄武に見立てたなだらかな山肌を流れる龍脈を、開けた場所の真ん中で全身に浴びているようで、不思議と明るく朗らかな気分になります。パワースポットと言われるゆえんです。
「大宰府政庁跡」には毎年春になると、今年もここの桜が見たい、と太宰府市内外から沢山の人々が訪れます。それは家族連れから、友人、恋人、趣味のサークルの会や、老人会の人達まで、そしてぶらり散歩の人から、集団の学校遠足まで!もちろん、カメラを片手に一人で訪れる人も、ここの大地の気は「みんな、一緒に楽しみましょう!」と言わんばかりに歓迎してくれます。ここは子供から大人まで、全員が楽しめるというパワースポットでもあるのです。夜はスポットライトが照らされ、夜桜を見ることもできます。
でも、最近流行りのバーベキューや花火は…ちょっと待った!どんなに楽しい公共の広場でも、ここは国指定の特別史跡。火の気があるものは一切持ち込めませんので、くれぐれもご注意を。そして各自楽しんだあとは、ゴミもちゃんと自分で持ち帰るのがマナーです。
大宰府政庁正面から見て左側の大宰府政庁「蔵司跡」側にある小川沿いの小道では、秋の行楽の季節を、一層引き立ててくれるように、秋の紅葉も見事です。小さなレース状の日本もみじが真紅に色づいた様子は、なんとも美しく、言葉になりません。
冬支度の前に、外の新鮮な空気をいっぱい吸って、思う存分お日様にあたる紅葉狩りも素敵ですね。
万葉集で「遠の朝廷(みかど)」と詠まれた大宰府は、当時大和朝廷の政治の中心であった奈良の平城京や、京都の平安京に次ぐ規模を誇る、条坊制の都でもありました。
史跡内にはその規模の大きさが伺える、役所の建物を支えた礎石が残り、門や回廊、周辺の役所跡までも見て、体感することができます。
大宰府政庁跡の歴史を学び、より知識を深めてくれるのが、太宰府市古都保存協会が運営する「大宰府展示館」です。正面から見て右手にある趣のある建物で、そこから同じく観光名所の「学校院跡」や「戒壇院」、「観世音寺」等も徒歩5分圏内にあります。太宰府市内の観光地には市バス「まほろば号」が運行しているので、そこから特別史跡「水城跡」や太宰府天満宮に移動することもできます。
大宰府政庁跡は、春は桜、初夏には紫陽花や蛍、また秋には紅葉と、季節ごとに違う表情が楽しめる場所です。
太宰府の古い歴史と、その悠久の時の流れに思いをはせながら、千三百年前から変わらない四王寺山(大野山)の風景をしばし眺め、今を生きることの神秘と意味を見つめ直す、そんな大切なひとときに寄り添ってくれるパワースポットです。
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(2024/3/18更新)
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