京都 洛北 詩仙堂。美しい紅葉と石川丈山の人生に出会う旅のすすめ

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京都 洛北 詩仙堂。美しい紅葉と石川丈山の人生に出会う旅のすすめ

京都 洛北 詩仙堂。美しい紅葉と石川丈山の人生に出会う旅のすすめ

更新日:2014/11/20 17:37

MASALA Chaiのプロフィール写真 MASALA Chai トラベラー

紅葉のスポットで人気の京都 詩仙堂。現在は曹洞宗の寺院となっていますが、雰囲気は庵あるいは山荘に近い感じです。その理由は、江戸の文人、石川丈山が隠棲の地として選び、建てられたものだから。わずか33歳で武士の世界を退き、58歳で隠遁生活に入った丈山。詩仙堂には、その丈山の思いのすべてが注ぎ込まれています。美しい紅葉を眺めながら、石川丈山の人生を少したどってみませんか?

あえて凸凹の地に建てた丈山の終の棲家。

あえて凸凹の地に建てた丈山の終の棲家。

提供元:詩仙堂公式ホームページ

http://kyoto-shisendo.com/地図を見る

住宅街を縫うように走る叡山電車を「一乗寺」駅で降り、しばらく歩くと坂道があり、小さな山門が見えてきます。趣きのある門をくぐると美しい石段が続き、美しく手入れされた緑と静寂に包まれた詩仙堂に。

正式名称は詩仙堂丈山寺。凹凸窠(おうとつか)と呼ばれる凸凹のある土地に建てた住居の意味を持つ詩仙堂に持ち主であった丈山の名前が付けられています。洛中にある相国寺のほとりの「睡竹堂」に暮らしていた丈山は、59歳の時に終の棲家としてこの地を選び、詩仙堂を建てました。

丈山はここで煎茶を嗜み、庭を作り、漢詩を読み、90歳で亡くなるまでの約30年間を好きなことだけをして過ごしました。清貧という言葉がふさわしい、質素な生活でしたが、精神的にはとても充実した年月だったようです。

三十六歌仙の絵と詩が掲げられた座敷から眺める美しい紅葉。

三十六歌仙の絵と詩が掲げられた座敷から眺める美しい紅葉。

写真:MASALA Chai

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丈山作の庭を彩る紅葉を見るため、毎年たくさんの人が訪れる詩仙堂。白砂の敷かれた広い庭の丸く刈り込まれた緑の向こうに美しい紅葉が。遠近感を感じさせる構図で、丈山好みの唐様庭園と言われています。丈山は庭作りにも長けていたのです。滝から流れ落ちる水や僧都の音が響く庭、その片隅には茶室も設けられています。詩仙堂はさまざまな角度からこの庭を楽しめるように設計されているのです。

室内には「猟芸巣(至楽巣) 」と呼ばれる読書室、月に向かって朗吟する「嘯月楼」も。中心になる座敷、詩仙の間の壁には、丈山が狩野探幽に描かせた三十六歌仙の絵と詩が四方に貼りめぐらされています。外に向かって開け放たれた座敷に座って紅葉を眺めながら、心豊かな時間が過ごせます。僧都の音に耳を傾け、月を眺め、丈山は何を思ったのでしょう?

徳川家康に可愛がられた賢い武士、丈山。

徳川家康に可愛がられた賢い武士、丈山。

写真:MASALA Chai

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石川丈山は、1583年(天正11)三河の国、今の愛知県で徳川家に仕える武士の家に生まれました。小さい頃から人並みはずれたところがあり、少し大きくなってから2歳の頃のことを覚えていたり、4歳の時に12キロの道のりを歩いたり、という話が残っています。

そんな丈山の優れたところを見抜いた徳川家康は、いつも身近に置いて可愛がっていたそうです。1598年(慶長3年)には徳川家康の近侍になり、大坂夏の陣に加わっています。しかし、そこで軍令に反し、抜け駆けの先登をしたことが家康の気に障り、叱責を受けることに。今風に言うとトラウマになったのでしょうか? その後丈山は武士の世界から身を引きました。

そして、家康に仕えていた頃から手掛けていた書や詩歌を嗜み、茶道の世界にも足を踏み入れています。武士としては、少し変わり者だったかもしれませんね。

庭、建物のすべてを自分の思うがままに。

庭、建物のすべてを自分の思うがままに。

写真:MASALA Chai

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武士をやめた丈山は一人流れて京都へ。妙心寺に隠棲し、知人・林羅山の勧めで儒学を学び始めます。そこから儒学者への道が切り拓かれていきました。文武に秀でた丈山に、再び武士に戻るよう、あちこちから声がかかります。最初は断っていましたが、病気の母親を養うために仕方なく紀州(和歌山県)の浅野家に仕官。その後13年ほどを広島で過ごしています。

その後母が亡くなったのを機に引退しようとするのですが許されませんでした。よほど武士の世界に嫌気がさしていたのでしょう、強引に退官して京都へ。相国寺の近くに「睡竹堂」と呼ばれる庵を建て、隠棲を。詩仙堂を建てたのはその5年後、1641年(寛永18)のこと。ここを終の棲家と定め、ここで自分がしたかったことのすべてに没頭していきました。

日本の李白がたくさんの詩を読んだ隠棲の地。

日本の李白がたくさんの詩を読んだ隠棲の地。

写真:MASALA Chai

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ここで暮らす頃には、丈山は「日本の李白」と呼ばれるほどの漢詩の腕前を持っていたそうです。詩仙堂をお庭の方から眺めると、その建物がなんとなく中国風に感じられます。庭ともども、漢詩に秀でた才能を持っていた丈山らしい造りです。この山荘のあちこちに丈山は、名前をつけています。寝室は白室、書棚を剔蚋(紙虫をえぐる意)、井戸は膏肓泉、2階の嘯月楼もそう。もしかしたら、とてもロマンチストだったかもしれない・・そう思えてきます。

しかし、これだけ素晴らしい住まいを造るための資金をどこで調達したのだろう? そんな疑問が湧き上がります。東本願寺枳殻邸(渉成園)の庭園は丈山の手によるものだと言われていますので、作庭費などを収入にしていたのかしら・・と、想像を巡らせてみたり。天皇から召されることもあったそうですが、丈山はそれを断っています。決して贅沢はしない、「清貧」の生活を心掛け、好きな学問に没頭し、90歳で亡くなるまでの30年ほどの年月を、この詩仙堂で過ごしました。生涯独身。詩仙堂に強い個性を感じるのは、そんな丈山の生き方がベースにあるから。庭の紅葉を眺めながら、詩を考え、読むことは、さぞ楽しかったでしょう。

誰もが憧れるわがままを実現した丈山を詩仙堂で感じて。

石川丈山の人生について調べながら、思い浮かべたのはアメリカ人のヘンリー・デイヴィッド・ソローと私が以前書いた大山崎山荘に夢を託した加賀正太郎です(記事下部[MEMO]をご参照)。ソローは真実の生活を求めて森の生活を始め、加賀正太郎はリタイア後のロマンを実現する場として山荘を建てました。武士の世界に馴染めず、勉学の中に希望を見出した石川丈山。場所や時代が変わっても、自分を探求する道を選ぶ人は確実に存在します。文人として、一人の人間として、そのロマンを実現した石川丈山。詩仙堂を知ることは、丈山を知ること。紅葉を眺めながら、彼の人生に思いを馳せてみてはいかがでしょうか?


そして、丈山に関する本が一冊見つかりました。
「艶隠者―小説 石川丈山」(中園英助 新潮社)。
よろしかったら、ご参考に。

掲載内容は執筆時点のものです。 2013/11/10 訪問

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