「地上の天国」と謳われた都城ラール・キラー(デリー)に、ムガル帝国の繁栄を見る!

「地上の天国」と謳われた都城ラール・キラー(デリー)に、ムガル帝国の繁栄を見る!

更新日:2014/11/27 13:22

渡部 洋一のプロフィール写真 渡部 洋一 フリーライター、カメラマン
その国土は日本の約9倍、近い未来には中国を抜き人口世界一となることが確実視される超大国、インド。その首都デリーはアジアを代表する大都市であり、外国人にとってインド旅行の玄関口でもあります。

そんなデリーでまず初めに見ておきたい、ムガル帝国の巨大な城、ラール・キラーをご紹介します。

灼熱のインドにふさわしい、「赤い砦」

灼熱のインドにふさわしい、「赤い砦」

写真:渡部 洋一

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ラール・キラーは別名「レッド・フォート」。その名の通り、赤砂岩で造られた赤い城です。灼熱のインドに、この城の赤い勇姿は本当に良く映えます。まるで建設当時ムガル帝国の繁栄を支えた人々の魂が燃え上がっているようです。

タージ・マハルの建造で有名なムガル帝国第5代皇帝シャー・ジャハーンはアグラからデリーに都を移し、1639年から9年間の歳月をかけ、新たな都の中心としてこのラール・キラーを建設しました。現在では世界遺産にも登録され、旧市街オールドデリーの観光の目玉として多くの旅行者を惹き付けています。

パキスタンへと続くラホール門

パキスタンへと続くラホール門

写真:渡部 洋一

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城内へと通じる巨大なラホール門。高さ33メートルの門塔に守られた、荘厳なたたずまいです。この門の前に立つと、いかにも要塞といった厳つい作りとその赤さに思わず萎縮してしまいます。ムガル帝国の「強さ」を、この門が象徴しているようです。

帝国下の要衝であったラホール(現パキスタン)へと続く道が、この門から始まっていました。パキスタンがインドから分裂した今も、城は西を向き、「ラホール門」の名は親しまれています。

皇帝の座った白亜の玉座

皇帝の座った白亜の玉座

写真:渡部 洋一

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ラール・キラーの内部の見所の一つ、貴賓謁見の間には、シャー・ジャハーンが座ったとされる玉座があります。
白亜の大理石で作られているものの、一見するとシンプルにも見えるこの玉座。実は、当時はエメラルドやルビー、サファイア等世界中の宝石が埋め込まれ、眩い光を放っていたと言います。
まさに王の椅子にふさわしい豪華絢爛だったこの玉座は、その後宝石の略奪によってその輝きを失い、現在は観光客や地元民の記念撮影の場所となっています。

地元民たちの憩いの場

地元民たちの憩いの場

写真:渡部 洋一

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世界遺産、ラール・キラーはオールドデリー観光の目玉であると同時に、地元の人々の憩いの場ともなっています。
この日は学校行事で訪れたインド人の生徒たちが、まるで自分の学校の校庭のように気ままな一時を過ごしていました。

かつて都の中心の城であり、1857年インド大反乱の際にはイギリス軍の駐屯地にもなったこのラール・キラー。時代ごとにその役割を変えながら、数百年の間デリーの中心に建ち続けています。

どこまでも続く赤い城壁

どこまでも続く赤い城壁

写真:渡部 洋一

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ラホール門と同じく赤砂岩で築かれた城壁。堅固な赤い壁は、どこまでも続いています。その長さ、約2.5キロメートル。見上げるような高さの壁を、それだけの長さ造るには莫大な労力と費用を要したことでしょう。
赤く、高く、長いこの城壁にも、ムガル帝国の繁栄を見ることができます。

かつて「地上の天国」と謳われた城

いかがでしたか?
今回ご紹介したラール・キラーの建造物はかつて、「地上に天国があるとすれば、それはここだ」と謳われたほどのものです。
現代の旅行者に「地上の天国」と見えるかどうかはともかく、その色、その形、その大きさ、随所にムガル帝国の繁栄を感じることのできるラール・キラー。世界遺産登録も納得の見応え十分の歴史スポットです。

デリーを訪れるのなら、あなたも是非ラール・キラーに立ち寄り、インドという超大国の歴史に思いを馳せてみませんか?

掲載内容は執筆時点のものです。 2012/02/02 訪問

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