叡山電鉄「一乗寺」駅から東へ、プラタナス並木が美しい白川通りを横切り、南東へ約5分で金福(こんぷく)寺です。
控えめな表門を入ると、本堂と枯山水が現れます。本堂に展示されているのは『奥の細道図巻』『洛東芭蕉庵再興記』といった松尾芭蕉を慕い、数々の名句を残した“俳諧中興の祖”与謝蕪村ゆかりの品々です。
芭蕉は金福寺の住職・鉄舟和尚と親交が深く、丘の上の庵が「芭蕉庵」と名付けられるほどでした。しかし、それから80年以上の年月を経た芭蕉庵は荒廃し、芭蕉を敬慕していた蕪村がこれを再興したのです。写真は芭蕉庵の内部になります。再興を果たした蕪村はこの芭蕉ゆかりの地で眠ることを選び、2年後に亡くなります。
「ゆく春や京を一目の墓どころ」とは正岡子規の句です。彼が詠んだように、京都を見下ろす芭蕉庵の立つ丘には芭蕉・蕪村を尊敬する門人らの墓や句碑が並び、金福寺がいかに俳人にとって大切な場所であることがよく分かります。
料金 拝観400円
営業 9〜17時
休日 12月30〜31日、1月16〜31日、8月5〜20日
金福寺から北へ歩き、狸谷山不動尊へと続く坂道を上ると、「小有堂」と書かれた小さな門が見つかります。詩仙堂はこの門をくぐり参道、凹凸窠(おうとつか)門を抜けた先です。
「凹凸窠」とは、でこぼこした土地に建てた住居という意味で、詩仙堂の正式名称です。一般的に知られている「詩仙堂」の名は通称であり、狩野探幽によって描かれた中国の漢晋唐宋の詩家36人の肖像画『中国三十六歌仙』が掲げられた詩仙の間に由来します。
詩仙堂を造ったのは三河出身の旗本だった石川丈山という人物です。大坂夏の陣で軍規違反を犯し、仕えていた徳川家から放逐され、風雅の道を究めながら後半生をここで過ごしました。
丈山の中国趣味が反映された唐様庭園、丈山が考案者とされる鹿脅しも健在です。
武士として生きる道を絶たれ、最後まで独り身であった丈山ではありますが、寿命の長さにも、隠棲できた期間にも、作詩の数にも満足し(これを「三足」と言っている)、すべてが一生を終えるのに充分だと書き残して90歳の生涯を閉じました。
丈山の世界観を静かに望んでいると、今の私たちに必要なのは「足ることを知る」ということなのではないかと感じてしまいます。
料金 拝観500円
営業 9〜17時
休日 5月23日
詩仙堂からもう少しだけ坂を上ったところに野仏庵が佇みます。
明治36(1903)年生まれの実業家で美術愛好家でもあった上田堪庵の別邸です。「野仏庵」の名前の通り、敷地内には野ざらしの石仏が点在しています。
紅殻で塗られた主屋で受付を済ませたら、奥で庭園を眺めながら抹茶をいただきましょう。鋤と鍬の欄間や、上田堪庵による富士山の絵と松永耳庵の「夜酒もうまくあるかな」の書の合作である襖絵などが見られ、じっくりと観察するほどに風情がにじみ出てくるようです。
主屋に付設されている上田秋成ゆかりの茶室・雨月席も必見です。壁には秋成の書が掲げられ、与謝蕪村・円山応挙に師事した松村呉春による襖絵がごく自然に展示されています。窓からは京都市街を一望。ここからの景色を肴に夜酒はどうかな、と夢想してしまいます。
料金 500円(抹茶付)
営業 9〜16時
休日 水曜日を除く平日(不定休あり)
今回紹介した3か所を回るだけであれば、一乗寺駅まで戻る距離を加えても2キロ未満です。気軽に訪れることができます。ただし、野仏庵は開庵日に注意が必要です。
一度訪れると、風流人たちの眼にも映ったであろう景色と静かに対峙したくなるはずです。さつきの咲く頃、11月中旬から下旬の紅葉の時期、屋根や庭園に雪のかかる頃など自分の最も好きな一乗寺の景色を探してみてはいかがでしょうか。
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(2024/4/19更新)
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