写真:乾口 達司
地図を見る現在の地に奈良市役所が移転してきたのは、昭和52年のこと。その移転にあわせて制作されたものこそ、写真の平城京復元模型。現在は庁舎の中央棟1階ロビーに置かれており、在りし日の平城京を四方から俯瞰的に眺めることができます。その幅(東西)は8.3メートル、奥行(南北)は6.4メートル。実際の平城京の1000分の1のスケールで作られていますが、1000分の1でなおこれだけの大きさなのですから、当時の平城京がいかに広大であったかがうかがえるでしょう。
写真は南西方向から撮影しています。平城京の中央を南北に走る、ひときわ大きな道が朱雀大路。平城京のメインストリートです。写真からは平城京が東・西・北と三方を山でとりかこまれた地に築かれたことがうかがえますが、これは同じ時期に存在した東アジアの都でも、周囲を見上げるほど高い城壁でとりかこみ、外敵の侵入を徹底的に防ごうとした中国の都・長安(現在の西安)とは大きく異なる点。平城京の特色を知るのに最適の模型です。
写真:乾口 達司
地図を見る巨大模型の魅力は、その大きさにだけあるわけではありません。むしろ、細部にまで徹底的にこだわったリアリティが、この模型の最大の魅力であるといえるでしょう。平城京に住んだ人々にはそれぞれの身分や家族数などに応じて宅地が与えられましたが、当模型では丹念な時代考証にもとづいて家屋の精巧な模型が置かれています。家屋の数、何と73000軒!
写真では、天皇の住まいである内裏と行政府の機能をあわせ持った平城宮の区画に焦点が当てられています。画面の手前、平城宮の北方には大王クラスの陵墓がふくまれる佐紀盾列古墳群(さきたてなみこふんぐん)が展開しており、奈良時代の王宮が古代の古墳群と共存していたことがうかがえます。現在、平城宮の存在した区画は「平城宮跡」と呼ばれ、世界遺産に登録されています。区画内には第一次大極殿や朱雀門、東院庭園などの当時の施設が復原・保存されていますが、平城宮跡を散策したことのある方は第一次大極殿や朱雀門、東院庭園が写真のなかのどの建物に当たるのか、おわかりになりますか?目を凝らして探してみましよう。
写真:乾口 達司
地図を見る平城京ならではの特徴としては、朱雀大路の東側に位置する左京のさらに東側に「外京」(げきょう)という区画が大きく張り出している点が挙げられます。「外京」の張り出しにより、平城京は何ともいびつな形の都となっていますが、写真はその「外京」に焦点を当てた一枚。「外京」には、現在、世界遺産に登録されている興福寺や元興寺などが建立されました。
画面の左手、「外京」の東側に位置しているのが、東大寺。大仏殿のほかにもいまは存在しない東西二基の大塔までちゃんと復原されています。画面の右手はるか奥に見えるのは、大安寺。こちらにも現存していない東西二基の大塔がそびえているのが、おわかりになるでしょう。そのほか、法華寺や薬師寺、唐招提寺など私たちにとって馴染みのある寺院や佐伯院、穂積寺、服寺(はとりでら)など、現在では失われてしまっている古代寺院も忠実に復原されており、平城京が実に数多くの寺院を有する都であったことがしのばれます。
写真:乾口 達司
地図を見る奈良市役所に展示されているのは、何も平城京の巨大模型だけではありません。正面玄関を入ってすぐの左手にそびえているのが、この巨大な模型。これは平城宮に存在した第一次大極殿を10分の1のスケールで復原したもので、2010年にはその実物が平城宮跡に復原されました。そのもとになった模型が市役所の庁舎内に置かれていること、知っていましたか?
写真:乾口 達司
地図を見るほかにも、平城京から発掘された埋蔵文化財も陳列されています。写真の手前は平城宮の屋根を飾った丸瓦。その向うに見えるのは、皇朝十二銭。左京の三条一坊付近から出土した古代の貨幣です。市役所にこんな埋蔵文化財まで展示されているとは、驚きですね。
ほかにも、巨大模型の脇には興福寺や薬師寺など、現存する南都七大寺を紹介したパネル展示なども見られ、これから奈良市内各地をめぐってみようと思っている観光客にとっては親切な案内所となっています。平城京がどのような規模を誇っていたのか、そして、どのような特徴を持った都であったかなどを事前に学ぶためにも、一度、奈良市役所を訪れ、観光の手引きとしてみてはいかがでしょうか。なお、官公庁という性格上、土日は閉庁しているため、ご注意ください。
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(2024/12/14更新)
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