大阪鶴橋から近鉄に乗ると、20分余りで信貴山口駅につきます。そこからケーブルで高安山駅まで登ると幻の山城・高安城跡があるとされる高安山(487.4m)まであっと言う間です。
高安城は白村江の戦いで大敗した天智天皇が、唐・新羅連合軍の逆襲を恐れ、対馬にはじまり、北九州、瀬戸内の要所からここ高安まで烽火台(のろしだい)を築いた古代の山城。大宝元(701)年に廃城となるまで34年維持されました。
今は倉跡の礎石が残るだけの淋しい雑木林がひろがるのみですが、その山城跡を足早に辿り、石の地蔵が佇む十三峠へ向かいましょう。
高安山から十三峠まではドライブウェイを縫う山道が続きますが、この尾根筋に、突然神秘的な隠れ沼が現れおどろかされます。
この辺りは生駒山地に特有のヒロハシデチチタケという珍しいきのこの発生地。この沼を過ぎたらまもなく峠です。
またこの峠は、大阪の玉造から大和の竜田を結ぶ十三街道の道筋にあり、万葉集にも妻恋の道として知られています。
十三峠のやや北には大阪の夜景が一望できるパノラマ展望台があり、大阪平野はもちろん、天候に恵まれれば明石大橋も望めます。
ここは、王塚を中心に13基の塚が南北にならぶところで、信貴生駒スカイラインを行き来するマイカー族の隠れた穴場となっています。
この何の変哲もない霞立つ大阪平野(写真)が、百万ドルの夜景に変貌する光景はさぞかしのもの。
十三峠から八尾方面にやや下った8合目あたりにある水呑み地蔵堂には、石造の地蔵菩薩像が安置され、岩窟もあり、堂の南の小堂には水壺から清水「弘法水」が湧きだしていて、無病息災を願う人々がこの霊水を汲みに訪れています。
このあたりは、生駒山の「みずのみ園地」として森林整備がなされており、ここからの眺望も素晴らしく、立ち去り難い思いがするので、お弁当でもひろげてゆっくりしたいところです。
麓の神立村(こうだちむら)に至る手前には、大阪府天然記念物の幹回りが8mもある楠で有名な玉祖神社(たまのおやじんじゃ)があります。
この神社は、宮廷の祭祀に用いる勾玉の制作に従事していた玉作部の玉祖連(たまのおやのむらじ)一族が住みついて栄え、周防国(山口県)の玉祖神社から祖霊を勧請して社殿を建てたことにはじまると言われています。
十三街道の起点である大阪都心の玉造とは作玉部(たますりべ)の職能民でつながっているようです。
また、水呑地蔵尊からこの神社に至る谷筋にはかって茶屋があり、そこの娘に一目惚れした在原業平が通いつめ、やがて娘は飽きられ捨てられてこの谷川の淵に身投げしたという悲恋の物語が『伊勢物語』に伝えられています。
今は身投げしても溺死はできそうにない小川が流れているだけですが、千年近く前のこと。そんな川筋であったのでしょう。
その時、業平が「来たよ」という合図に用いたと言われる「一節切笛(ひとよぎりのふえ)」が玉祖神社には伝えられています。
写真は玉祖神社の大楠の見える参道。
古代より、高安長者を生み裕福な村落として近世まで続いた高安山麓の村々は四天王寺と結びつけられ、身毒丸伝説に取材した能の『弱法師(よろぼし)』や浄瑠璃の『摂州合邦ケ辻』の物語を産み出します。
そのほか高安村を見下ろす山の斜面には夥しい古墳が見られます。中にはヨーロッパ古層の歴史に登場する墳墓と共通のドルメン古墳も散見されます。
また、古代アニミズム信仰を習合した修験道の神仏混交寺院も目白押しで、子守神社、天岩戸神社、高御座神社などもし時間に余裕があれば巡りましょう。
八尾のはずれにあるこの辺りは、観光的には華やかさに欠けますが、歴史文学ファンには実に面白いところで、通いつめれば、さまざまな発見があるところです。
往きは近鉄・信貴山口駅からケーブルが出ていますが、帰りは、1つ手前の服部川駅がちかいです。
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(2024/12/5更新)
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