生駒山東麓(奈良県)のへそと不思議スポットそっと教えます

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生駒山東麓(奈良県)のへそと不思議スポットそっと教えます

生駒山東麓(奈良県)のへそと不思議スポットそっと教えます

更新日:2014/12/21 11:16

ナツキのプロフィール写真 ナツキ きのこの文化研究家、博物学者

近鉄生駒線の走る奈良県の生駒東麓は、往馬大社を中心に不思議スポットが点在します。生駒山の隠れパワースポットの代表コースを探る旅にでましょう。

三輪山と同じく生駒山をご神体とした蒼古の杜・往馬大社

三輪山と同じく生駒山をご神体とした蒼古の杜・往馬大社

写真:ナツキ

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往馬大社は、難波と大和を隔て南北に走る生駒山そのものを神南備とする太初の神社の様式を伝える広大な神域を誇る神社です。
文献的には、雄略3(458)年を創祀とされます。
『延喜式』以来、官幣大社に列せられ、ここ生駒谷十七郷の総氏神となりました。
古くから「火の神」として崇められ、歴代天皇の即位後はじめて執り行う大嘗祭(だいじょうさい)に用いられる火鑽木(ひきりぎ)を献上しています。

ここのツブラジイを主体とする鎮守の杜は、縄文以来の森の姿を今に伝えている学術的にも貴重な森で、奈良県の天然記念物に指定されています。

近鉄生駒線・壱分駅で下車。生駒山の奈良側を山脈に沿って流れる鯉がゆうゆうと群れ泳ぐ竜田川に出てしばらく北へ歩き川を渡るとすぐ生駒山を背後に従えた鳥居に出会います。

怪僧・行基の墓所のある竹林寺

怪僧・行基の墓所のある竹林寺

写真:ナツキ

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往馬大社から国道168号線を左右に縫いながら徒歩20分ほど南へ下り、第2阪奈道路をくぐってすぐ西の山辺には、比較的新しい瀟洒なお堂があります。この地は行基が住まいとした生馬(生駒)仙房があったところ。

天平21(749)年、菅原寺(現在の喜光寺)でみまかった後、行基の遺骨は、このあたりで火葬されましたが、たちまち一陣の風が吹き来たってその骨灰を跡形もなく吹き散らしてしまったとされますので、弟子たちがここに墳丘を築き、その面影を偲んだと思われます。

行基は反体制の頭領的存在でしたが、聖武天皇の心意気にほれ込んで以来一変して、重税にあえぎ逃散した民衆を組織して土木建設工事を率先して行い、今で言うところのゼネコンの元祖的存在となった怪僧です。その胸のすくような生涯にふれる地を訪ねるだけでもパワースポット数十か所を巡る以上のパワーを浴びることができます。

その墳丘をまわりこんだところに建てられたのがさきほどの御堂の竹林寺なのです。
竹林寺とは、行基が文殊菩薩の化身と考えられたところから、文殊菩薩の聖地である中国の五台山大聖竹林寺にちなんだものです。

きのこの鬼瓦のある椿井の地蔵堂

きのこの鬼瓦のある椿井の地蔵堂

写真:ナツキ

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竹林寺から、やや南に下り生駒南中学の交差点で竜田川を渡ると近鉄の南生駒駅に着きます。
ここから王子方面へ向け再び車上の人となり5つ目の竜田駅で降りましょう。
駅からは東北にとり徒歩10分。JA経済センター北の橋東詰交差点で竜田川を東に渡ったあたりの丘陵地一帯が平群町椿井地区です。

椿井はその名の通り、いたるところ椿だらけの名所で、丘には春日神社と並んで融通念仏宗・常念寺があります。かっては春日神社の神宮寺であったのでしょう。
この常念寺の地蔵堂には珍しいきのこ図像の鬼瓦(写真右屋根)があります。
全国でもめずらしいマツタケをデザインした鬼瓦は、元来豊穣多産のシンボルとされてきました。
ここからは信貴山、生駒山の眺望がほしいままです。

椿井の井戸と笠石仏如来像

椿井の井戸と笠石仏如来像

写真:ナツキ

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椿井の名前の由来は、遠く物部・蘇我戦争にさかのぼります。
蘇我側について戦った平群・神手将軍が戦勝を祈願して椿の杖を突き立てると杖がたちまち芽吹き、冷泉が湧き出でたということに由来しています。椿の樹下にはその井戸も残されています。

この集落は、神手将軍の墳墓と伝えられる宮山塚古墳を中心にひろがり、レガリアとしての杖から繁茂した椿は、集落全体を覆いつくす勢いで、冬から初夏まで椿の花が絶えることはありません。
また地区の取りつきには線刻の笠石仏如来像があり、この椿井の丘全体が結界であることをそれとなく示しています。
この不思議な小村こそが、古代より桃源郷とされたところかもしれませんね。

地蔵堂のきのこの鬼瓦の補足

地蔵堂のきのこの鬼瓦の補足

写真:ナツキ

きのこの鬼瓦は、近世以降のもので、かなり精巧にマツタケを描いたものであることがわかります。
平群の斑鳩へと通じる丘陵地は、かっては松林が続いたことが偲ばれ、往時はこの地がマツタケの名産地であったことの名残でしょうか。
しかし、地蔵堂の四簷(しえん)にすべて用いられたものはなく、1ヶ所に残るのみであるところから、早い時期に瓦の母型が失われ廃版になったものと推測されます。

おわりに

生駒山麓は原始修験の霊場が多数存在したところで、麓には古代の大小豪族が群雄割拠していました。
その中心となる地が往馬大社です。
行基も竹林寺あたりにあった生駒仙房で修行を重ね、都市化著しい平城京の棄民問題解決のため、東大寺界隈へ勢力を伸ばしていったのです。

この往馬大社の南北ラインは可能なら徒歩でのんびり歩くことをおすすめします。僕達の想像以上に人々が往来しにぎわったさまは、古代の人と同じ目線に立つときはじめて、この土地のオーラが事物を介して萌え出ずるのをとらえることができます。

近鉄生駒線は近鉄奈良線生駒駅から出ています。

掲載内容は執筆時点のものです。 2012/04/08 訪問

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