悩める女性必見!九度山の女人高野・慈尊院で「おっぱい」についてお願いしよう!

悩める女性必見!九度山の女人高野・慈尊院で「おっぱい」についてお願いしよう!

更新日:2015/03/30 15:30

東郷 カオルのプロフィール写真 東郷 カオル 癒されたい系女子旅ライター、ラグジュアリーホテルライター
開創1200年の高野山の麓にある九度山に、「女人高野」と呼ばれる「慈尊院」があります。ここは一時、弘法大師の御母公が暮らしておられた場所。女人高野の云われから、今でも女性の参拝者がよくお参りに訪れます。彼女たちの願いは「おっぱい」にまつわること。安産、授乳、育児を願うものから、乳がん平癒まで様々。境内にはおっぱいの特大絵馬が飾られ、参拝者がそれぞれ作ったおっぱい絵馬も奉納されています。

女人高野・慈尊院

女人高野・慈尊院

写真:東郷 カオル

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今からおよそ1200年前、弘法大師(空海)は嵯峨天皇から賜った高野山に真言密教の根本道場を開きました。明治5年までは高野山は女人禁制として女性が訪れることは厳しく制限されることに。今でこそ観光地として世界遺産として誰もが訪れることのできる高野山ですが、このような制限がされた時代もあり、その名残として高野山には山内に入る場所に「女人堂」という、高野山に入れない女性が籠るお堂が残されているのです。

その昔、弘法大師(空海)の御母公が「一目わが子に会いたい」と訪ねてこられた時も、当然高野山は女人禁制だったため弘法大師の元に行くことができませんでした。空海は月に九度の頻度で、「町石道」を歩いて母に会いに来たと言われ、それが「九度山」という地名の由来となったといわれています。町石道とは、高野山への道しるべとして一町(約109m)ごとに「町石(ちょういし)」と呼ばれる石柱が置かれた道のこと。
弘法大師が開いた慈尊院は女性の参拝が自由な「女人高野」として女性の祈りを集めるようになりました。今では世界遺産に登録されています。

おっぱい絵馬

おっぱい絵馬

写真:東郷 カオル

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慈尊院は女人高野のいわれがあるため、子授け、安産、育児、授乳、良縁などを願って乳房型の絵馬を奉納する女性が多く訪れます。ここ近年特に多いのが、乳がん平癒の祈願。近くの病院と乳がん患者らが、乳がん撲滅と病気平癒を祈願して奉納した特大絵馬はニュースにも取り上げられ、乳がん撲滅の象徴であるピンク色のお守りは、全国から求める人が絶えません。
奉納されている沢山の「おっぱい絵馬」はそれぞれ手作り。家族の健康のため、子供の健やかな成長のためと、個々が願いを込めて作った「おっぱい絵馬」には、女性の切なる願いが溢れています。

町石道のガイド犬・ゴン

町石道のガイド犬・ゴン

写真:東郷 カオル

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慈尊院の境内には「高野山案内犬・ゴンの碑」というものがあります。ゴンは慈尊院から町石道を通って高野山へ参詣する人を、高野山の入口の大門まで毎日ガイドしていました。
1200年前の弘法大師の時代にも案内犬がいたと伝わっており、「ゴンは弘法大師の案内犬の生まれ変わり」とも言われています。

慈尊院からすぐ上の丹生官省符神社への階段の途中に町石道のスタート地点の180町石があります。ですが、本当のスタート地点は慈尊院ご本尊の弥勒菩薩様。町石道から高野山へ参詣される方は必ず弥勒菩薩様にご挨拶ください。

丹生官省符神社

丹生官省符神社

写真:東郷 カオル

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慈尊院から急な階段を登ったところにある丹生官省符神社も弘法大師によって創建されたお社。猟師に姿を変えた狩場明神が放たれた白・黒二頭の犬が、弘法大師を高野山へと導き、弘法大師は高野山を開山することができました。
丹生官省符神社の境内には、狩場明神(猟師姿)と白・黒二頭の犬、弘法大師の出会いの場が描かれたパネルがあり、高野山開山の伝説を現代にわかりやすく伝えています。

高野山と九度山

開創1200年で賑わう高野山。高野山へお参りの際は是非、九度山にもお立ち寄りください。慈尊院へ公共機関でお出かけの方は、南海電車の九度山駅で下車し、徒歩20分少々です。道中、2014年に新しくできた「道の駅・柿の郷くどやま」に立ち寄って行かれると、歩くのも苦ではないでしょう。
九度山は2016年のNHK大河ドラマの主人公「真田幸村」ゆかりの地。真田幸村父子の屋敷跡に建てられたお寺「真田庵」など、真田の隠れ里を散策してみてはいかがでしょうか。

掲載内容は執筆時点のものです。 2015/03/21 訪問

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