モヨロ貝塚館に入って、まず目に飛び込んでくるのは、微笑みかけているようにも見える、熊の頭部です。ぎょっ!としますが、よくみればこれは石像。オホーツク文化は熊を崇拝していたらしく、このような熊の石像や粘土細工が見つかっており、また住居の中には熊の頭蓋骨を並べた祭壇があったと考えられています。時は、5世紀から9世紀。当時の北海道に栄えていた続縄文文化や擦文文化には存在しない、独特の宗教観を持つ文化が網走に存在したのです。
小学校や中学校で習った竪穴住居、覚えていらっしゃる方も少なくないと思われます。正方形の、ちょうど藁葺屋根の民家の屋根の部分だけを地面に建てたような形の家屋です。そのなじみ深い竪穴住居ですが、オホーツク文化では、趣を異にします。その形はなんと六角形!しかも、日本のものに比べて遥かに大きいのです。これはこの住居を使用する際に、複数の家族が共同で生活を営んでいたからだといわれています。
オホーツク文化は、サハリン、国後島などの北方領土、そして北海道の北東部にかけて広がっていました。そのため、海とのかかわりが深く、モヨロ貝塚からの出土品には、大量の貝殻に混じって、海獣の骨や、それを捕獲するための銛、海獣を象った置物などが出土しています。2013年にリニューアルオープンしたモヨロ貝塚館では、そのような遺物を至近距離で観察することができます。
縄文時代からの文化を継承していた北海道にあって、特異な文化を維持していたオホーツク海の沿岸の人々。しかし、オホーツク文化の痕跡は、徐々に姿を消していき、やがて網走一帯は擦文文化圏へと飲み込まれていきます。オホーツク文化を担った人々はどこへ消えたのか。擦文文化圏の人々との融合など、複数の説が唱えられています。
モヨロ貝塚館のすぐ隣には、モヨロ貝塚が今もなお残っています。貝塚そのものは芝生に覆われて見えなくなっていますが、土と土の間に、当時の貝殻の破片を多くみることができます。六角形の竪穴式住居の跡も複数残っており、更にその奥には墓地もあります。博物館を見学した後は、ぜひ、自分の足で遺跡を歩いてみてください。古代の情景がそこに浮かび上がってくるはずです。
いかがでしたでしょうか?
網走は、モヨロ貝塚以外にも、流氷観光や網走刑務所等の見どころが多く、一年を通して新鮮な魚介類が食通を唸らせる町でもあります。ぜひ、他の観光スポットや食事も併せてお楽しみください。
オホーツク文化に興味を持たれた方には、同じ網走市にある網走市立郷土博物館にもモヨロ貝塚の遺物は展示されています。また、隣町の北見市常呂町にも、代表的なオホーツク文化の遺跡「常呂遺跡」があるのでこちらにも足を延ばしてみてください。
教科書ではあまり触れられることのないオホーツク文化ですが、日本とは少し異なる独特の姿に、きっと興味を惹かれるはずです。
(本文下MEMOに「モヨロ貝塚館」へのリンクがあります)
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