古代より冬至の日に交野山から太陽の登る地点に秦氏たちは、堂(くつ)を建て、太陽信仰のセンターにしてきました。
この地の太陽信仰は、よりドラマチックで、冬至の前後数日間は、条件さえ整えば、交野山の頂あたりから日の出前に白い光の帯が天を貫ぬき、この岩山がひときわ神々しくみえたものですから、神南備山としても超一級のものだったのです。
交野山(正式呼称はこうのさん)は、標高341mの低山で登りやすい上に頂上には磐座があり、大阪平野が一望できる凄いロケーションで、古代より天空への廻廊として最適の地だったわけです。
とりわけ夜景は物凄く素晴らしいので、中国から七夕伝説が伝えられると、秦氏が信奉してきた妙見信仰も相まって星の神の天降る山となり、平安時代には、多くの歌人も訪れ一大聖地が生まれます。
こうした文化を背景に絹織物は高級な上にも高級感に包まれ地元産業としての地位を不動のものにしていったのです。
また、歴史や聖地伝説のみならず、都市近郊の山には珍しく豊かな自然が残されており、山野草や昆虫、きのこもとても豊富なことで有名です。
写真は、低山ながら360度のパノラマが楽しめる岩峰の交野山頂上。絶景をのぞむ岩の上ではこんなショットも撮ることができます。
交野山山頂の観音岩と呼ばれる巨大岩は、古代巨石信仰の名残りで、農耕のための天体観測の場といわれています。
観音岩の名称は、その岩の西面のよく目立つ位置に観音の種字「サ」が刻まれていることから。
ちなみに、この岩の南側には三宝荒神の「ウーン」、北には大日如来の「ア」の種字がさりげなく刻まれています。
山頂のパノラマを思う存分楽しんだら、山頂南側にある岩倉開元寺跡をたずねましょう。
この寺院は、奈良時代、麓の神宮寺集落の北にあったものを鎌倉期にここに移築されたと言われています。
室町中期までは繁栄を極めたものの、比叡山延暦寺の末寺であったところから、信長の河内平定の際の僧兵攻めのため焼失してしまいます。
しかし、ここから神宮寺町までの下山道にはさまざまな石仏群があり、往時の繁栄をしのぶことができます。
頂上の観音岩からは、開元寺跡の室町中期の銘のある阿彌陀三尊像、その筋向かいには高さ90cmの阿彌陀石仏(室町時代)、中腹あたりには高さ175cm、幅96cmほどの山形自然石に像高88cmの弥勒石仏が彫られています。
そのほか、麓集落までの山道の両脇には随所に石仏が散見でき、疲れを忘れてしまうほどです。
写真は、開元寺跡の阿彌陀三尊像。
神宮寺集落は、蜜柑、葡萄、柿、柚子をはじめ四季おりおりの果物生産農家が点在し、そこでもぎたてのくだものを直接買うことができます。
そこからは国道に出て、津田駅までのしばらくの間、冬至の日の前後には鋭い太陽光がほとばしり出ると言われる交野山を眺めながら、この日の不思議な山旅を振り返りましょう。
養蚕にはじまり、機織りの民の信仰の中心であったことから、手芸、学問の神となり妙見信仰が更に重なり、織姫伝説の神社として今日若い人たちの関心の的になっている機物神社。
ここがもっとも賑わうのは、何といっても織姫の原型になったといわれる天棚機比売「あまのたなばたひめ」大神を祭神とする七夕祭りの7月6日の宵宮〜7日の本宮でしょう。
七夕飾りで彩られた境内には多数の露店も出て、本宮の日には神輿が繰り出されます。
そして参詣者たちの竹笹に結ばれた願いの短冊は、夜も更けた23時30分から天の川に流されるのです。
狭く浅い川ですので、大量の笹で流れがせき止められないかなといささか心配になりましたが、それは下衆の勘繰りというものでしょうね。
機物神社(はたものじんじゃ)
大阪府交野市倉治1-1-7
ご祈祷の申し込み及びお問い合わせ
電話072-891-4418(社務所)
三都が平野部でつながる交野を展望できる恰好の磐座に古代の人たちが目をつけないはずがありません。
今はやや静けさを取り戻しつつありますが、このあたりの方々に口を開けたパワースポットは健在です。
足馴らしと縁結びや開運、厄除けを兼ねて一度トライしてみてください。
健脚の方には、交野山からそのまま南下して府民の森・くろんど園地を越えて私市駅まで歩くのをおすすめします。
この記事の関連MEMO
このスポットに行きたい!と思ったらトラベルjpでまとめて検索!
条件を指定して検索
旅行ガイドを検索!
(2025/2/10更新)
- 広告 -