写真:結月 ここあ
地図を見る長野駅から真北にある善光寺までは徒歩で約40分、バスを利用すれば10分ほどの距離です。
参道・仁王門・仲見世通り周辺には、信州蕎麦のお店は勿論のこと、名物のおやき・七味唐辛子などのお土産屋さんや、趣のある宿坊も建ち並び思わず足を止めてしまいます。
旅館だった建物を再利用している郵便局も参道の雰囲気にマッチしていると思いませんか?昔ながらのポストも懐かしいですね。
写真:結月 ここあ
地図を見る善光寺は、誰でもお参りできる無宗派の単立寺院で、年間を通じ多くの参拝者で賑わっています。
石畳の参道を歩くと最初にくぐる門は 仁王門で、宝暦2年(1752年)に建立されましたが善光寺大地震などにより二度焼失し、現在のものは大正7年(1918年)に再建。この門には善光寺の山号である「定額山」と書かれた額がかけられています。
両側には、高村光雲・米原雲海合作の仁王像があり、阿形(あぎょう)像と吽形(うんぎょう)像が阿吽の呼吸で仏敵が入り込まないようにと睨みを利かしています。
顔はとても怖いですが、筋骨隆々とし、なかなかの肉体美なんですよ。
写真:結月 ここあ
地図を見る仁王門から、仲見世通りを抜けた真正面にある山門は、寛延3年(1750年)に建立された二層入母屋造りの門で重要文化財に指定されています。
山門では、「善光寺」と書かれた額をよく見てみましょう。この3文字の中に鳩が5羽隠されていて、「善」の文字は牛の顔に見えるのですよ。思わず立ち止まって探してしまいますよね。
牛に引かれて善光寺参りという言葉がありますが、思いもよらなかったことから良いほうへ導かれることのたとえとなっていますね。ここ善光寺の近くに住んでいた心の貧しい老婆が、布を隣の家の牛が角に引っかけて走り出したのを見て、その牛を追っていくと善光寺にたどり着きました。牛だと思っていたのは観音菩薩様の化身だったと気付き信仰が深まったという話が由来となっているそうです。
写真:結月 ここあ
地図を見る善光寺の本堂は宝永4年(1707年)に再建され江戸中期の代表的な仏教建築として国宝に指定されています。
間口約24m、奥行き約54m、高さ約26mという国内有数の木造建築で「総檜皮(ひわだ)葺き」の屋根は日本一の規模です。またT字型の棟の形が鐘を叩く撞木(しゅもく)に似ていることから「撞木造り」と呼ばれています。
本堂の奥の瑠璃壇には、御本尊・一光三尊阿弥陀如来様をお祀りしています。
内々陣の奥にある入り口から七段の急な階段を降りていくと、本堂の床下をロの字型に巡る回廊があります。ここからがお戒壇(かいだん)巡りです。
気のせいかひやっとした冷気さえも流れてきて、少し背筋も寒くなりますが勇気をだして行きましょう。地下に降りると灯り一つなく木の廊下が闇に消えています。
写真:結月 ここあ
地図を見るここからは経験したことがないほどの真っ暗闇ですが、右壁に錠前があるとのことで、右壁を伝い上下くまなく触りながら歩きますが、やたらつるつるした壁と廊下が手と足から感じられます。
歩く人の声が聞こえると少し安心をしますが、しんと静まり返ると恐怖感が高まり、時折ガチャガチャと錠前の音が回廊に響きビックリしながらも、幾つかの角を曲りやっと小さな極楽の錠前に触れることができました。入り口からここまでの距離も時間さえもわからなくなるくらいの不思議な空間なんですよ。
これで、秘伝の御本尊様と結縁することができ、往生の際にお迎えに来ていただけるとお約束が出来たということです。
お戒壇巡りの暗闇は無差別平等の世界で、これを巡ることで眼の不自由な方の不安や苦しみも理解することができ、誰にでも手を差し伸べたり親切な心が持てるようにとの、仏の教えもあるそうです。
善光寺参りは来世の御利益を得られますが、現世の御利益も得られたいという方は、ぜひ善光寺から、車で70分ほどの別所温泉の北向観音へもおいで下さい。
善光寺は南向き、北向観音はその名の通り北向きに建っています。この二つの寺は向かい合っているのです。
善光寺が「未来往生来世の利益」を祈願するのに対し北向観音は「現世の利益」に御利益があることから片方だけでは「片参り」と言われています。両方をお参りすれば、現世と来世の幸福が約束されるかもしれませんよ。
この記事の関連MEMO
- PR -
このスポットに行きたい!と思ったらトラベルjpでまとめて検索!
条件を指定して検索
(2024/9/17更新)
- 広告 -