中世自治都市の魅力を堪能!大阪市の大規模環濠都市・平野郷

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中世自治都市の魅力を堪能!大阪市の大規模環濠都市・平野郷

中世自治都市の魅力を堪能!大阪市の大規模環濠都市・平野郷

更新日:2014/12/24 12:22

乾口 達司のプロフィール写真 乾口 達司 著述業/日本近代文学会・昭和文学会・日本文学協会会員

平野区の中心地・平野の旧市街地(平野郷)は、中世以降、大規模な自治都市として繁栄をきわめました。郷の周囲は環濠と土塁でかためられ、特定の政治勢力の支配を受けない自由な社会環境が整備されていたことでも知られています。環濠がほとんど埋め立てられた現在でもかつての面影が各所に残り、環濠都市としての魅力を堪能するのに格好のスポットといえます。今回は平野郷の歴史的な魅力を発見する旅に出掛けてみましょう。

「平野郷十三口」の一つ!北西側の出入口に残る馬場口地蔵

「平野郷十三口」の一つ!北西側の出入口に残る馬場口地蔵

写真:乾口 達司

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平野郷の起源は平安時代にまでさかのぼります。蝦夷征伐で知られる平安初期の武将・坂上田村麻呂の子息である広野麻呂の領地であったことから、当初は「広野」と呼ばれていました。「平野」は「広野」がなまったものであると考えられています。平野郷の周囲にいつ、環濠や土塁が設けられたか、はっきりしたことはわかっていませんが、中世以降、平野郷が交通の要衝としての地位を確立するにともない、外敵の侵入を防ぐなどの目的から環濠都市化が推し進められたものと考えられます。豊臣秀吉の命により、在郷の有力商人たちが天王寺村などに転居させられたことにより、一時期、平野郷は活力を失いますが、江戸時代に入ると、交通の要衝としての地位を回復。戦後、周辺地域の宅地化が推し進められるまでは、当地域の中心的な都市であり続けました。

周囲を環濠と土塁でめぐらせた平野郷には13箇所の出入口が存在しました。通称「平野郷十三口」です。それぞれの出入口には門が設けられており、現在、門のあったところにはお地蔵さまがまつられています。写真は郷の北西側の入口に位置する馬場口地蔵。馬場口は泥堂口(でいどうぐち)とともに奈良街道の大坂・天王寺方面に接続する重要拠点でした。

平野郷の広大さを実感しよう!南側の出入口に位置する流口地蔵

平野郷の広大さを実感しよう!南側の出入口に位置する流口地蔵

写真:乾口 達司

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写真は平野郷の南側の出入口に残る流口地蔵。先に紹介した馬場口地蔵と同様、かつてここには流口門が存在していました。流口から南下する街道は中高野道と呼ばれ、堺方面からやってくる西高野道と合流していました。その名のとおり、高野山へと通じる街道であり、高野山への巡礼者も平野郷を通行していたことがうかがえます。

馬場口地蔵から流口地蔵まで、複雑に入り組んだ街中を歩くこと、約15分。平野郷が流口からさらに東側に大きく張り出していることを勘案すると、平野郷が私たちの想像をはるかに超える広大な環濠都市であったことを教えられます。

環濠都市としての名残りを発見!杭全神社東側の環濠

環濠都市としての名残りを発見!杭全神社東側の環濠

写真:乾口 達司

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平野郷をぐるりととりかこんでいた環濠の多くは近代以降の都市化の波に抗えず、姿を消していきました。しかし、そのすべてが埋め立てられたかといえば、決してそうではありません。たとえば、ご覧のように、平野郷の北端に位置する杭全神社(くまたじんじゃ)の東側には、環濠や土塁の名残りが見られます。境内南側に残る池も環濠の名残り。現在、参道脇に設けられた児童公園の敷地には環濠にかけられていた橋も現存しており、当時の様子をしのぶことができます。平野郷の環濠がどのようなものであったか、杭全神社の周辺を散策してご確認ください。

日本で唯一の連歌所も残る!平野郷の繁栄をしのばせる杭全神社

日本で唯一の連歌所も残る!平野郷の繁栄をしのばせる杭全神社

写真:乾口 達司

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杭全神社は平野郷の総鎮守というべき古社。貞観4年(862年)、当地を領有していた坂上当道によって創建されました。2社の春日造、1社の流造から成る3殿の本殿はいずれも国の重要文化財に指定されており、文化財という点でも、杭全神社を有する平野郷の歴史的な豊かさをしのぶことができます。

なかでも、注目していただきたいのは、社務所に隣接する連歌所。連歌所が現存するのは、全国広しといえども、ここ、杭全神社だけなのです。中世に大成した連歌は複数の作者によって作り上げられる集団制作の文芸形式。伝統的な和歌が宮廷や知識階級をその担い手としていたのに対して、複数の作者が寄り集い、作品を制作した連歌は次第に町民をはじめとする庶民の文芸として受け入れられるようになり、やがて俳諧を生み出すにいたりました。長年、外部の政治勢力からの干渉を受けずに自治をおこなってきた平野郷ではどういった身分の人たちが行政の担い手であったか、連歌という文芸一つをとってみてもおわかりになるのではないでしょうか。

日本最初の念仏道場!大阪府下最大の本堂を有する大念佛寺

日本最初の念仏道場!大阪府下最大の本堂を有する大念佛寺

写真:乾口 達司

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杭全神社が神道における平野郷の代表的な古社であるならば、仏教側の代表格としては、郷の北西に位置する大念佛寺の名を挙げることができるでしょう。大念仏寺の創建は大治2年(1127年)。四天王寺にて聖徳太子から夢のお告げを受けた良忍上人が、鳥羽上皇の勅願によって、創建したのがはじまりとされています。日本最初の念仏道場としても知られており、その点からも平野郷の豊かな歴史性がうかがえますね。ちなみに、昭和13年(1938)に再建され、現在、国の登録有形文化財となっている本堂の規模は大阪府下最大。その大きさに圧倒される人も多いでしょう。

おわりに

平野郷がいかに豊かな歴史を有する環濠都市であったか、おわかりになったのではないでしょうか。ほかにも、享保2年(1717)、地元有志の出資によって設立され、その利息によって運営された学問所・含翠堂の跡なども残り、自治的な商業都市としての性格を強く持った平野郷の特質をしのぶことができます。幕末の動乱期、倒幕の旗を掲げた天誅組の主要メンバー・中山忠伊が追っ手を逃れて隠れ住み、自刃したことを指し示す石碑も満願寺門前に残されており、幕末マニアにとっても必見のスポット。当地を訪れ、環濠都市として繁栄をきわめて平野郷の歴史的な魅力をご堪能ください。

掲載内容は執筆時点のものです。 2014/12/18 訪問

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