JR日豊線、臼杵駅と上臼杵駅の間に、古い町並みが広がっています。今回は、寺院や武家屋敷の多い「二王座」に近い、上臼杵駅をスタート地点とします。
駅を出て町並みに向かって歩いていると、まず目に入るのが龍原寺の「三重塔」です。
九州に2つしかない江戸期に建立された木造の三重塔の内のひとつで、塔の内部には聖徳太子が祀られており、「太子塔」とも呼ばれています。臼杵の名工、高橋団内が奈良や京都の古寺をまわり設計し、10年の歳月を費やし安政5年(1858年)に竣工されたものです。
この歴史ある塔は、まるで、歴史街道に誘う道しるべのような存在です。
龍原寺・三重塔を過ぎ、右(臼杵城跡の方向)に曲がると、多くの寺院が軒を連れ、「二王座歴史の道」と呼ばれる街道につながります。大友宗麟が臼杵城を築城した当時から街道筋の役割を果たし、今でも当時の町割りと道幅が残されている街並みは、臼杵を代表する景観で、平成5年には国の景観100選にも選ばれています。
江戸時代には武家屋敷や寺院が建てられ、今でも江戸時代の風情が色濃く残されています。石垣と漆喰壁・格子窓の建物に挟まれた石畳の道を歩くと、まるで江戸時代にタイムスリップしたかのようです。
「二王座」と呼ばれる地域は、阿蘇山の噴火で形成された溶結凝灰岩で出来た丘の上にあります。そのため、凝灰岩を掘削して作られた「切通し」の小道がいたるところに残っています。
「二王座歴史の道」を更に進むと、十字路に白壁の堂々とした「稲葉家土蔵」があります。江戸時代に臼杵を治めていた稲葉家ゆかりのものです。内部は吹き抜けの2層になっており、無料の休憩所として開放されています。
臼杵では、このように古い建物を再生し伝統的な街並みを保存しています。この他にも、安政2年(1855年)に建立された旧真光寺の本堂も、休憩所として観光客に利用されています。
稲葉家土蔵を左に折れ、八町大路(中央通り商店街)に向かうと、西洋風な外観をした交流ホール「サーラ・デ・うすき」があります。「サーラ」とはポルトガル語で「サロン」を意味し、大友宗麟時代に、日本で初めて臼杵につくられた、キリスト教宣教師を育てる学校「ノビシャド」を模した建物です。
観光情報や市民ギャラリーをはじめ、大友宗麟が臼杵に導入した南蛮文化をイメージさせる資料などが展示されています。
臼杵城は弘治2年(1556年)に大友宗麟が臼杵湾に浮かぶ丹生島に築城した海城で、当時は断崖絶壁で海に囲まれた城として有名でした。現在は、埋め立てにより地続きとなっており、臼杵公園として整備されていまが、「畳櫓」や「卯寅口(うとのくち)門脇櫓」は現存建築として残っています。
臼杵城から眼下に広がる城下町を眺めながら、大友宗麟の街づくりに思いを馳せてみては如何でしょうか。
今回ご紹介したルートは、JR上臼杵駅から「二王座歴史の道」まで、徒歩でおよそ15分の距離です。二王座界隈は、若干の坂道はありますが、全体的に平坦な道が多く、歩きやすく、観光客のための無料休憩所や公衆トイレも充実しており「街歩き」には、もってこいの場所です。是非とも、ご自身の足で歩き、臼杵の歴史と文化を感じてみてください!
また、市の中心には「臼杵氏観光交流プラザ」もあり、観光情報や特産品の紹介の他、無料でレンタサイクルの貸出も行っています。まずは観光交流プラザに立ち寄り、情報収集をし、自転車で街中を回るのもひとつの方法です。
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(2023/12/8更新)
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