写真:塚本 隆司
地図を見る鳥取城は戦国時代中頃(天文年間)、久松山(きゅうしょうざん)の自然地形を利用し築かれた山城である。
後に織田信長の命により侵攻してきた羽柴秀吉軍と繰り広げられた籠城戦が「鳥取の渇え殺し」と呼ばれる戦国史上最も凄惨を極めた戦いだった。
鳥取城のすぐ背後、太閤ヶ平に本陣を置く秀吉。その距離わずか1キロ半ほどの目の先である。播磨で「三木の干殺し」と呼ばれる兵糧攻めを成功させていたが、1年10ヶ月と長い期間を要したことから鳥取城攻めでは事前に策を講じて籠城戦を仕掛ける。兵糧は瞬く間に底をつき餓死者が続出、「牛馬人等喰ひ候」という歴史上稀に見る凄惨な地獄絵図となった城内を見かねた城主吉川経家は、自身の命と引き換えに降伏し幕をおろした。
鳥取城史跡は鳥取城跡と太閤ヶ平をあわせて「史跡鳥取城跡附太閤ヶ平(しせきとっとりじょうつけたりたいこうがなる)」として指定されている。
現在、鳥取城跡正面入口には自害の後秀吉に「哀れなる義士かな」と男泣きさせたと伝わる吉川経家の像が立っている。
鳥取城史跡へは、山陰本線鳥取駅から徒歩30分。または鳥取市100円循環バス「くる梨」緑コースで「仁風閣・県立博物館」を下車するとよい。
写真:塚本 隆司
地図を見る鳥取城跡に足を踏み入れると、まず目に入るのが仁風閣(じんぷうかく)。
映画「るろうに剣心」のロケ地でもあり、映画を見られた方は特徴的な建物の印象が残っているのではないだろうか。
国の重要文化財にも指定されたフレンチルネッサンス様式を基調とする木造二階建ての本格的西洋館で、中国地方屈指の明治建築といわれている。建築は明治40年、時の皇太子殿下(のちの大正天皇)の山陰行啓に際してご宿舎として建てられたそうだ。
鳥取県ではじめて電灯が灯された場所でもあるらしく、室内の装飾などが素晴らしい。二階へと続く螺旋階段は、今にもドレスを身に纏った貴婦人が降りてきそうな気がするほどだ。
一階部分は、池田家ゆかりの品々などが展示されている。
開館時間:9時〜17時(入館は16時30分まで)
休館日:月曜日(祝日の場合は開館)、祝日の翌日、年末年始
観覧料: 一般150円(小・中・高校生は無料)
現在の城郭は関ヶ原の合戦以降、鳥取城主に任ぜられた池田家によって本格的な近世城郭に改築された。山下ノ丸と呼ばれる部分を大きく拡張整備し、中世の山城的遺構と近世城郭遺構が併存している日本城郭史上でも類例の少ない城跡である。
戦国時代以降、因幡・伯耆二カ国の支配拠点だけであり、その立地と規模は申し分のないものであったと想像できる。
鳥取城の最大の魅力はなんといっても石垣だろう。
写真は表御門跡の石垣。
歴史公園としてよく整備されており、本当に入城無料でいいのかと疑ってしまうほど。「日本さくら名所100選」にも選ばれている憩いの場所でもある。
特に二ノ丸三階櫓跡あたりの石垣は是非見て頂きたい。
珍しい石垣が残されているので必見だ。
写真:塚本 隆司
地図を見る亀の甲羅のような角を持たない球面の石垣がある。これは天球丸に残る「巻石垣」だ。芸術作品でもモニュメントでもない、れっきとした石垣なのである。他に確認事例がなく、国内唯一の大変珍しいものだ。江戸時代の終わり頃、天球丸の石垣崩落を防止するために築かれたものだという。ちなみに天球丸とは天球院という方の名に由来するもので、球面の石垣がその名にちなんで造られたのかは定かではない。
他にも「お左近(さご)の手水鉢」と呼ばれる石材を使った石垣が残っている。難工事だった三階櫓の石垣工事を無事に終わらせた伝説の石材だという。確かに穴のあいた石材が使われているので、こちらも必見だ。
写真:塚本 隆司
地図を見る近世城郭遺構の美しい石垣の次は、中世の山城的遺構である山上ノ丸を目指して欲しい。片道30分ほどの登山にはなるが、天守櫓跡に到着すれば納得してもらえるはずだ。
日本海が見渡せ、海岸線には広大な鳥取砂丘が広がる。市街地も一望できる。よく晴れた日には名峰大山をも拝むことができるという素晴らしい眺望なのだ。歴史好きには太閤ヶ平を見つめながら城主吉川経家の心境に想いを巡らせてみるのもいいだろう。
ただし、緩やかとはいえない登山コース。体調はもちろん天候などに気をつけて頂きたい。
鳥取県をはじめ山陰の観光は、グルメに温泉と楽しみはいっぱいある。そのなかに鳥取城跡を観光コースに含めてみてはいかがだろうか?
城好き・歴史好き・眺望好きには楽しい観光となるに違いない。
この記事の関連MEMO
- PR -
このスポットに行きたい!と思ったらトラベルjpでまとめて検索!
条件を指定して検索
(2023/12/6更新)
- 広告 -