写真:SHIZUKO
地図を見るどんどや左義長は、元来、小正月の1月15日(諸説ありますが、大まかにはこの日を指す)に書初めや正月飾りなどを燃やして、その煙と共に歳神様をお見送りし、五穀豊穣を祈る行事です。この火で焼いた餅を食べると1年間無病息災であると信じられています。『歳徳神』=『としとくじん』から『とんどさん』と変化して、この日の火祭りはとんど・どんどなどと呼ばれています。歳徳神は、その年の福を司る神様と考えられていて、その神様がいらっしゃる方角を恵方というそうです。そう、近年、新しい風習として根付いた節分の恵方巻を食べる方向のこと。
詳しくは知らなくても、子どもころから年中行事として日本の伝統行事として根付いている習慣です。神社の境内などで地元の行事として、細々と続いている地方も多いことでしょう。
でも、勝山の左義長は、規模が違います。かつては小正月に行われていたのですが、現在は、いろんな都合で2月の最終土・日に開催されるようになりました。寒い季節、吹雪の中の開催も当然ありますが、それゆえ美しく楽しい勝山左義長、一度、体験してみませんか。
写真:SHIZUKO
地図を見る勝山左義長では、市内各町内12か所に『櫓』が作られ、そのそばに松や杉で組まれたご神体が建てられます。街の通りには、色とりどりの『色短冊』がはためいて、街を賑やかに彩ります。
夜になると、絵行燈に灯が点り、柔らかなぬくもりを感じます。が、この絵行燈、よくよく見るとかなり辛辣な世相風刺が書かれています。江戸時代に藩主が、左義長を無礼講とし、庶民の気持ちを川柳や狂歌で表すことを許したことが始まり。今でも、鋭い突込みやユーモアに思わず笑ったり、うなずいたり。地元の方々の思いが溢れる素敵な絵行燈です。
写真:SHIZUKO
地図を見る勝山左義長を奇祭足らしめているのが櫓の上で繰り広げられる『浮き』。
櫓の前面におかれた太鼓の上に、お面をつけて後ろ向きに座る人とその両脇で踊る2人の3人で繰り広げられる軽妙洒脱な踊り=『浮き』。太鼓の音が響かないように太鼓に座る人は、太鼓が叩かれるたびにまさに浮きます。それにあわせ、赤い長襦袢をはためかせ、鐘や三味線の軽快なお囃子に浮き、おどけた仕草で踊り続けるのが真骨頂。子どもも大人も、男も女も入れ代わり立ち代わり、楽しそうに踊り次ぐ姿は圧巻です。
各町ごとに少しずつ違いがあるので、12基を全部見ようと思うとかなり時間が必要です。でも、必見ですから、ぜひ。場所によっては、餅まきも行われていますので、行き当たるとラッキーですね。
写真:SHIZUKO
地図を見る左義長のクライマックスは『弁天河原』で行われる『どんど焼き』。2日間にわたって開催されたお祭りを締めくくる壮大な火祭り。正月のお札や注連縄、絵行燈、短冊や縁起物などを松飾りに括り付け、藁で大きなどんどやを組みます。
点火時間が近づくと、河原に続々と人が集まってきます。冬空に松明の行列が続くさまは、幻想的で荘厳。各町の代表者が持つ松明は、神明神社から採火されたもので、鎮火祭の要素も兼ね備えています。
松明を持っていない子どもや大人が手にしているのは、竹の先につけられたお餅。これこそが子どもたちのお楽しみ。どんどやの激しい炎が収まった後、河原に降りて、お餅を炙っていただきます。
写真:SHIZUKO
地図を見る河原が人で埋め尽くされたころ、それまで点いていた誘導灯や街の灯も消えて、一瞬の静寂と暗闇の世界が訪れます。
そして、松明から点火された炎が一気に冬空を焦がし、辺り一面、オレンジ色に。火の温かみとありがたさ、そして怖さがジーンと心にしみわたります。あまりにも美しいこの光景。思わず手を合わせてしまう荘厳な火祭りに、穢れたものが焼き尽くされ、心も体もすっかり生まれ変われるような気がします。
お祭りといえば夏が主流ですが、冬には冬のお祭りがあります。
正月を越えて、寒さが厳しくなる時期に、見るだけで心まで温まる火祭りに参加してみるのはいかがでしょうか。雪深い北陸・福井の奇祭は、地元の人間じゃなくても受け入れてくれる温かさがあります。
河原で開催されるどんど焼きは壮大。ぜひ、いろんな厄も焼いてもらって、いい春を迎えてください。
この記事の関連MEMO
このスポットに行きたい!と思ったらトラベルjpでまとめて検索!
条件を指定して検索
(2024/12/4更新)
- 広告 -