写真:乾口 達司
地図を見る今回、ご紹介する「御田祭(おんだ祭)」の舞台となるのは、奈良県磯城郡田原本町八尾に鎮座する「鏡作神社(ががみつくりじんじゃ)」。古代、鏡の製作にたずさわってきた技術者集団「鏡作部(かがみつくりべ)」の居住地にちなんだ社であり、付近には同名の神社が複数鎮座しています。
御田祭は地域の五穀豊穣を祈る祭礼であり、毎年2月21日に近い日曜日の午後1時からとりおこなわれます。
写真:乾口 達司
地図を見る祭礼の当日、本殿前には、御田祭で使われる農耕器具や牛を模したお面などがそなえられています。
写真:乾口 達司
地図を見る御田祭がとりおこなわれるのは、拝殿前のご覧の区画。笹竹で区切られた四方が田んぼに見立てられています。もちろん、五穀豊穣を祈るための神聖な区画(神田)であるため、足を踏み入れないようにお願いします。
写真:乾口 達司
地図を見るまず奉納されるのは、地元の婦人会の方々が早乙女に扮しておこなう「御田植舞」と「豊年舞」。
それが終わると、先ほどご紹介した神田に場所を移して、農耕所作がとりおこなわれます。
写真:乾口 達司
地図を見る農耕の所作は、白装束を身にまとった役員の方々がおこなう田作り(耕作)からはじまります。これは各地の御田祭(おんだ祭)全般で見られる所作ですが、鏡作神社では、実際に鍬や鋤を手にして砂地を掘り返したり、整えたり、役員の方々総出で畦を作ったりと、段階的に詳しくおこななわれます。
所作の合間には「腰が痛いわ〜」といって腰をさすったりするシーンもあり、詳細でリアルな演出が、鏡作神社における御田祭の特徴の一つに挙げられます。
写真:乾口 達司
地図を見るこちらは、籾撒きに見立てた所作。トラクターのような便利な機械の存在しなかった時代はこうやって農具を使い、田んぼを耕し、種をまいていたのですね。
その数々の所作を目にしてはじめて、そのことに思いいたる人も多いのではないでしょうか。
写真:乾口 達司
地図を見る一連の所作が終わると、いよいよ牛とそれを使う田男の登場です。
牛と田男は神田のなかを何度もまわります。途中からは牛の後ろに犂(すき)も取りつけられますが、これは犂を牛に引かせることで土壌を耕す作業を表しています。
写真:乾口 達司
地図を見る神田の周囲を繰り返しまわるにつれて、牛は次第に凶暴になっていきます。そして、遂には田男のいうことを聞かず、暴れはじめます。鏡作神社の御田祭では、牛が暴れれば暴れるほど、その年は豊作になるといわれています。
一方の田男も負けてはいません。暴れまわる牛をときには引っ張り、ときには引っ張られて大格闘を演じます。牛の角をつかんだり、頭を叩いたりしていうことを聞かせようとするシーンもあり、両者の格闘に参拝者は大喜び。
御田祭でもっとも盛りあがるシーンです。
写真:乾口 達司
地図を見るなかでも、笑いを誘うのは田男が牛を酷使し、神田の上を猛スピードで走らせるシーン。
牛役を演じるのは中高年の役員2名ですが、前かがみの不自然な姿勢で無理やり走らされるため、足がもつれて、ひっくり返ってしまうこともしばしば。自分たちでは起きあがれず、他の方に手伝ってもらってようやく起きあがるといった始末です。したがって、終盤はフラフラの状態で走ることになりますが、それがまた参拝者の笑いを誘います。
演じる側とそれを見守る参拝者の双方が一体となり、楽しみながら、祭を進行させていくこと。その点に祭本来の魅力があるといえるでしょう。
写真:乾口 達司
地図を見る牛と田男の大活躍により、田植えの準備が整います。牛の退場後、今度は神田に役員が居並び、地面に松苗を置いていきます。もちろん、これは田植えの様子を表しています。
写真:乾口 達司
地図を見る注目したいのは、松苗を置き終えた後、役員一同がいっせいに「雨や」「雨や」と叫びながら、神田の砂をあたりに撒き散らす点。これは雨が降り、苗が大きく成長するように祈った所作であると考えられています。
御田植祭のなかで砂をかけあう行事といえば、毎年2月11日、奈良県河合町の廣瀬神社でとりおこなわれる「砂かけ祭」が知られていますが、ここ、鏡作神社でもそれがおこなわれていること、ご存知でしたか?
鏡作神社の御田祭がどのようなものか、おわかりいただけたでしょうか。特に大暴れを演じる牛使いのシーンはユーモラスであり、早春を迎えたとはいえまだまだ寒いこの季節、参拝者をあたたかな気持ちにさせてくれます。鏡作神社の御田祭を見学しながら春の訪れを実感し、五穀豊穣を祈願してみてはいかがでしょうか。
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