写真:井伊 たびを
地図を見るJR常磐線(東京メトロ・千代田線)とJR武蔵野線の交わるところに新松戸駅がある。その「新松戸駅」から、南東へ500m住宅街を緩やかな坂道で10分あまり登った小高い丘に、「慈眼山・福昌寺」がある。このお寺は、四百年あまり前の開山以来、24代続いている禅寺である。めざす「幸谷観音」は、その「福昌寺」の向かいだ。
観音堂内には、行基作といわれる十二年毎(午年)に御開帳される「十一面黒観世音菩薩」が安置されている。また、壁面に掲げられている、松戸市の有形文化財に指定されている「小金牧野馬捕りの献額」(絵馬)から、かつてこの辺りが軍馬や野馬の放牧地であり、その選別を行う様子が窺える。
意味深なレイアウトで配置されている、境内の「駿馬像」「だるま像」「布袋尊」をご紹介しよう。
写真:井伊 たびを
地図を見る幸谷観音の境内にある「布袋尊」は、松戸史跡七福神のひとつである。「布袋尊」は、中国の実在した禅僧で、本来の名を釈契此(しゃくかいし)といった。数々の予言がすべて的中するので神格化され、弥勒(みろく)の化身と尊ばれている。
堪忍と和合を教え、無病息災の神と崇められ、その容姿は、福々しく大きな腹を突き出している。日用品を詰め込んだ大きな袋を背にして、「喜捨」を求めて諸国行脚をしたと伝えられている。
因みに布袋尊の背負っている袋が「堪忍袋」である。布袋尊の柔和な笑顔を眺めていると、こころが広くなったように感じられる。これは、とても心地いい御利益のひとつだ!そして、あなたの「堪忍袋の緒」が締まる瞬間でもある。
この「布袋尊」の傍らにある「モッコク」は、県下でも一二の樹齢といわれ、市の指定保護樹木である。
写真:井伊 たびを
地図を見る境内のだるまは見事な赤色だ。そもそも、だるま(達磨)とは、仏教の一派である禅宗開祖の「達磨」の坐禅姿を模した置物だ。現在では禅宗のみならず宗教、宗派を越え縁起物として広く親しまれているが、だるまはなぜ赤いのか?
それは、「赤」には魔除けの力があるからだ。『赤色は伝染病から身を守るおまじない』だとし、ほとんどの「だるまさん」が赤いのはそういうことだろう。
写真:井伊 たびを
地図を見る境内の真ん中辺りに「駿馬像」がある。かつて、群雄割拠していた武者たちによる、愛馬たちへのレクイエムに代えての奉納か?そのまなざしが、多くを語りかけてくる。悠久のときの流れの切なさや、生きた証を後世まで輝かせておきたいだろう想いやその儚さや、縷々感じることが多い。
さらに、この駿馬の鬣が、本物の毛であることに一層の哀愁を感じる。砂煙を巻き上げて、駆け回っている馬の蹄の音がどこからか聞こえてきそうだ。
写真:井伊 たびを
地図を見る堂内には、十二年毎(午年)に御開帳される「十一面黒観世音菩薩」のほかに、松戸市指定有形文化財の「野馬捕りの献額」がある。これは、一見の価値がある。松戸市ホームページに、その「絵馬」と、詳しい解説が掲載されている。(記事下のMEMOにリンク)
仏教においては、如来の精神や知恵を5つの色で表す。黒、白、赤、青、黄、が基本の五色だ。そこで、この境内ミステリーだが、黒観音の「黒」、駿馬の「白」、だるまの「赤」、鐘楼にぶら下がる梵鐘の「青」とくれば、残るは「黄」。
黄色と言えば、黄金色に輝く「財宝」。ここで魔術の記号「五忙星」の考えをを持ち出して、そのどこかのポイントに「徳川の埋蔵金」が眠るのではという「夢」を抱く御仁もいらっしゃると聞く。
その「大仮説」を、ご住職に投げかけても、柔らかい微笑みをたたえられるだけ。こんな「夢想」や、一期一会の人とのやりとりは、旅する愉しみのひとつだろう。
またこの辺りは、かつて「幸谷村」と呼ばれ、大谷口と並んで大日河(現在の江戸川)を眼下に見下ろし、はるか江戸城を眺める景勝地であった。当寺の境内には「観音下貝塚遺跡」や、近くの宮ノ下には「幸谷城」と見られている城郭の史跡がある。一緒に巡ってみるといいだろう。
この記事の関連MEMO
このスポットに行きたい!と思ったらトラベルjpでまとめて検索!
条件を指定して検索
(2025/1/20更新)
- 広告 -