ドイツ技術博物館はベルリンのクロイツベルグ(Kreuzberg)エリアにあり、様々な技術分野が分けられて展示してあります。その一部は以下の通りです。情報技術、航空技術、船舶技術、交通技術、写真技術、生産技術、印刷技術、繊維技術、数学、情報学、化学、エネルギー技術。
それぞれの展示コーナーは極めて整頓されており、時代や背景も一緒に説明されており、内容が豊富な割に非常に分かり易く見学出来るように工夫されています。
開館時間: 月曜日は休館日です。火曜日から金曜日までは9時から17時30分、土曜日と日曜日は10時から18時まで。
入場料: 大人が8ユーロ、6歳までの子供は無料です。子供連れの家族では、ミニファミリーカードや大ファミリーカードなどあり、ベルリンの他の博物館に比べると格安になっています。
最寄りの駅: クライスドライエック(Gleisdreieck)が一番近いです。駅から出て7−8分徒歩で着きます。
館内: 入ってすぐに売店とレストランがあります。乳母車等もしまえる大きなロッカーも借りることが出来ます。館内は広々していて、小さな子供連れの家族でも快適に過ごせるようになっています。
写真はドイツ技術博物館の象徴のような写真ですが、入り口は向かって右に50メートル程歩いた所にあります。
博物館のホームページは、本文下のメモを御参照ください。
情報学の分野から、ドイツのコンピューターの生みの親と言われているコンラートツーゼのZ11というコンピューターについてご紹介しましょう。
写真のコンピュータZ11は、1955年に登場しました。簡単なスペックをご紹介いたしましょう。動作周波数は10Hzから20Hz、27ビットコンピューティング、重さはなんと800kgもあり、消費電力は2000Wもありました。値段は当時の価格で約5万ユーロで43機販売されました。 主に利用されたのは統計や測定の分野でした。
1910年にベルリンに生まれ1995年に亡くなったコンラート・ツーゼは情報工学者で電子頭脳の製造に情熱をかたむけ、世界初のプログラム制御式コンピューターを作りました。
彼は1938年に初めての二進法回路を持つZ1を世に出しました。Z1は近年のコンピューターに比べると、頭脳を持った機械程度のものでしたが、ここからIEEE 754規格は生まれました。
その後、第二次大戦が激戦化してくるに従い、需要により飛行機の主翼を測定出来るコンピューターの製造が必要でした。ヘンシェルH2 293型のミサイルを遠隔操作するためです。 こうしてS1やS2といったコンピューターが生まれました。この二つは初めてプロセス制御が搭載されたコンピューターでした。
ツーゼの作った会社ツーゼKGは経営不振でジーメンズに統合されましたが、彼は20世紀のドイツの情報学の基礎を作り上げたと言われています。
ドイツの航空機製造業界は、第二次世界大戦までは世界をリードしていました。館内にはツェッペリン飛行船、リリエンタールの飛行機、BMW社やメルセデスベンツ社などの様々な航空機のエンジンも展示されています。
写真でご紹介いたしましたユンカース社のJu52は1930年に1基のエンジン搭載の旅客機として設計されました。 その後、ドイツルフトハンザ航空の要望によりより生産力の高い機材へと発展していきました。
3基のエンジンを搭載したJu52/3mの初飛行は1932年3月7日でした。 3基エンジン搭載のJu52の誕生は当時衝撃的なことだったと言われています。
Ju52の客室は13−17席設置できるようになっていて、機内には防音施行がされ、冷暖房が完備していました。飛行可能距離は1200−1300km、飛行可能高度は6300m、最高速度は時速290km。機体表面はユンカース社のシンボルであるジェラルミンの波打ち形外板を張り、軽量化と強化を狙いました。フラップは後縁フラップで、主翼の一部になっていました。その主翼の中央に小さなフラップがあり、これが大変効果的な高揚力装置として操作されるようになっていて、離着陸の操縦を安定させました。
こうしてJu52は世界中で安全で確実な飛行機として知られることになりました。第二次世界大戦中は、Ju52は主に空軍の輸送機として利用されるだけでなく、掃海機、曳航機もしくは爆撃機としても利用されました。ヨーロッパの様々な国でライセンス契約の元Ju52が製造されました。当時のルフトハンザ航空での使用機材の約90%を占め、旅客機と軍用機全てを合わせて合計4800機製造されました。
戦後になっても、多少時代遅れ気味になったJu52が利用されていたのは、絶対的な安全感と操縦のしやすさからであったと言われています。
Tante Ju(ユーおばさん)と呼ばれ親しまれたJu52は、現在世界中の様々な博物館に展示されています。
首都をベルリンに定め、現在の北ドイツからポーランドに領土があったプロイセン王国では1900年代始めに機関車の需要が急増し、より高性能の機関車の製造が求められました。
プロイセン国営鉄道の鉄道技術者であったロベルトガルベは、既にP8 型を世に出していましたが、P8を更に改良したP10を設計しました。P10はP8のボイラーを改良し、機体外部を補強しました。
P10は車軸配列2’Cの機関車として分類されています。P10は1910年から1914年にかけて1954車製造されました。 全長は20,750mm、軌間は1435mm、3個の動輪を持ち気筒数は4、ボイラの圧力は14気圧、最高速度は時速110kmでした。
当時のプロイセン国営鉄道の鉄道技術者の中で、ロベルトガルベは機関車の簡素な設計を推進した技術者の一人でした。彼はP10から出来るだけ余分な機能を省いたことにより未熟な機関士でも操縦が出来ることを想定していました。
P10の欠点は、燃費が悪いことでした。更に、第二次世界大戦中には爆撃を受け、戦争を無事に乗り越えたP10はたった3車だけでした。そのうちの一車であり、製造番号が17 008のP10の一部がベルリンのドイツ技術博物館に展示されています。
日本の機関車の歴史も長いですね。機関車は日本人にとってとても馴染みのある交通機関であったと言えます。それゆえ、蒸気機関車でけでなく、ディーゼル機関車、電気機関車など現在の鉄道の先駆であった様々な機関車が展示されているコーナーは是非見学をお勧め致します。とても興味深いと同時に親しみが湧いてきます。
いかがでしたでしょうか。ご紹介いたしました展示物はごく一部で、この他にも様々な興味深い技術分野が展示されています。
技術分野での特別な知識が無くても、充分に楽しめる博物館です。技術とは私たちの生活には馴染みのあるもので、決して難しいものではありません。子供まで楽しめるように大変分かりやすく展示されてあります。
ベルリンのドイツ技術博物館は館内がとても広いので、歩きやすい格好をして家族みんなで見学に行きましょう。
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