『千と千尋の神隠し』のモデル!江戸東京たてもの園(小金井市)は、ジブリファンの聖地!

『千と千尋の神隠し』のモデル!江戸東京たてもの園(小金井市)は、ジブリファンの聖地!

更新日:2015/11/05 17:29

渡部 洋一のプロフィール写真 渡部 洋一 フリーライター、カメラマン
東京都小金井市の江戸東京たてもの園。広大な小金井公園内にあるその場所は、二・二六事件の現場となった高橋是清邸や、偉大な建築家前川國男の邸宅等歴史的建造物を今に残すテーマパークとして有名です。

そして、江戸東京たてもの園の名をさらに有名にしたのが、ジブリ映画『千と千尋の神隠し』。今回は、映画内に登場する重要な建物のモデルとなった「子宝湯」と「武居三省堂」をご紹介します。

「子宝湯」は、『千と千尋の神隠し』のジブリ公式のモデルだった!

「子宝湯」は、『千と千尋の神隠し』のジブリ公式のモデルだった!

写真:渡部 洋一

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江戸東京たてもの園東ゾーンの1番奥に、「子宝湯」はあります。
この建物を見ると、ジブリファンのあなたはこう思うかもしれません。

「もしかしてだけど〜、もしかしてだけど〜、これって千と千尋の油屋にそっくりなんじゃないの〜」と。

しかし、「もしかして」ではなく本当に千と千尋の神隠しに登場する「油屋」のモデルの一つはこの建物。ジブリの公式ホームページにも「大いに参考にした場所」として江戸東京たてもの園の名前がはっきりと記載されています。

ジブリのモデルと噂される場所は世界中に数あれど、ジブリが公式に発表している「本物のモデル」はほんの一握り。ジブリファンとして、千と千尋ファンとして、宮崎駿ファンとして、江戸東京たてもの園の「子宝湯」を見ないわけにはいきません。

昭和の香りの残る銭湯

昭和の香りの残る銭湯

写真:渡部 洋一

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昭和4年(1929年)に建てられた子宝湯。現在ではあまり見られなくなった銭湯の姿を、ここでは思う存分味わうことができます。
壁の富士山の絵から、脱衣所のレトロなポスターから、風に揺れる入口ののれんから漂う懐かしい昭和の香りは、銭湯全盛期の時代を知る人にとって感涙ものです。

千と千尋のもう一つのモデル「武居三省堂」

千と千尋のもう一つのモデル「武居三省堂」

写真:渡部 洋一

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子宝湯のすぐ近くに、明治創業のレトロな文具店「武居三省堂」があります。関東大震災後に建てられたもので、前面のタイル貼りが火災に強い「看板建築」です。

この「武居三省堂」は、江戸東京たてもの園の中で宮崎駿が1番気に入った場所だと言われています。そしてその理由は、建物の内部にありました。

内部はまるで「釜爺の仕事場」

内部はまるで「釜爺の仕事場」

写真:渡部 洋一

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薄暗い内部。全てが木造で、「まさに明治」といったレトロな趣。
この雰囲気、今にも「千と千尋の神隠し」の強烈キャラクター「釜爺(かまじい)」が出てきそうな気がしませんか?私には、この部屋は完全に釜爺の仕事場にしか見えません。

千と千尋ファンの方なら、もうこの時点で気づいた方もいるかもしれません。そう、注目すべきは向かって左側の壁です。

釜爺の引き出し

釜爺の引き出し

写真:渡部 洋一

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武居三省堂の壁に無数に並ぶ、木製の引き出し。
映画内で釜爺が長い腕を伸ばし薬草を取り出したあの引き出しに、これでもかというほどそっくりです。
この引き出しを眺めていると、今にも背後から釜爺の腕が伸びてきそうな気持ちになります。

宮崎駿が「千と千尋の神隠し」を作製する上で大きなインスピレーションを受けた趣のありすぎる引き出し。この場所に立ち、「ムムッ、こ、これは使える」と呟く宮崎駿の姿が目に浮かぶようです。

「ジブリ公式」のモデル、江戸東京たてもの園は、ジブリファンの聖地!

いかがでしたか?ジブリファン必見のスポット、小金井市・江戸東京たてもの園をご紹介しました。
今回取り上げた建物は、ジブリのモデルとして噂される数あるスポットの中でも、ジブリが公式に発表した「本物のモデル」です。また、江戸東京たてもの園のマスコットキャラクター「えどまる」も、宮崎駿によってデザインされたもの。
江戸東京たてもの園は、どこまでもジブリに縁の深い、ジブリファン必見のスポットと言えます。ジブリファンの聖地へ、あなたも訪れてみませんか?そこは、高鳴る胸の鼓動とともにアニメキャラクターの足音まで聞こえてくるような、不思議な世界です。

江戸東京たてもの園へのアクセス、入場料金、営業時間等の情報は、記事下部にある「MEMO」よりご覧いただけます。

掲載内容は執筆時点のものです。 2014/11/07 訪問

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