写真:bow
地図を見る時は幕末、ペリーの黒船来航以来、鎖国を解かれた日本には各国からの船が多数来航することになりました。しかし、日本近海は暗礁が多く、また江戸時代には灯台のような航路標識が整備されておらず海難事故が頻発し、外国船舶には『dark sea(ダークシー)』と恐れられていたそうです。
そんな開国後の1866年、幕府は米・英・仏・蘭の4ヶ国と「改税条約(江戸条約)」を締結。条約内には航行の安全を図るべく、海の要所に建設を約束した全国8ヶ所の灯台がありました。
観音埼、剱埼(三浦半島)、野島埼(房総半島)、神子元島(伊豆半島沖)、伊王島(長崎県沖)、佐多岬(大隅半島)、潮岬(紀伊半島)、そして今回ご紹介する樫野埼の8つです。これらは別名条約灯台とも呼ばれています。
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地図を見る「樫野崎灯台」は日本で最初の石造りの洋式灯台であり、また今では当たり前のように思えますが、ここが日本最初の回転式閃光灯台でもあるのです。
明治2年に着工、その翌年には点灯されることになるこの「樫野崎灯台」を手掛けたのは”日本の灯台の父”として知られているイギリス人のリチャード・ヘンリー・ブラントン。明治時代に技師として来日し、約8年間の滞在中、日本全国に26ヶ所の灯台を建設した人物です。その日本の灯台の父が一番最初に手掛けたのがこの「樫野崎灯台」。
それまでの日本の灯台は灯篭のような形で能力的にも低かったのですが、彼の手掛けた灯台は機能だけでなく現在でも決してデザイン的にも古さを感じないものばかり。我々が一般的に見慣れた”灯台”のルーツでもあるのが、この「樫野崎灯台」と言っても過言ではないのかもしれません。
「樫野崎灯台」の敷地内にはスイセンが群生しており、12月中旬ごろより咲き始め、2月末頃まで楽しめます。このスイセンは、灯台建設に携わって常駐していたイギリス人技師達が異国での孤独な生活を慰めるため、故郷からを取り寄せて植えたとされています。
そのスイセンの数は今やなんと10万本以上にも!そのおかげでスイセンの名所としても知られるようになりました。冬になれば辺り一帯に甘い香りが漂い、咲き乱れるスイセンを楽しむことができます。ちなみに串本町の花もスイセンです。
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地図を見る「樫野崎灯台」は内部への立ち入りは禁止されています。しかし、平成14年に展望台が造られ、灯台に併設するように灯台上部へと登れる螺旋階段も造られました。これにより、灯台の上から黒潮の海が眺望できるようになりました。
ちょうどこの展望台から見える景色に、トルコの軍艦である『エルトゥールル号』が遭難した海が広がっています。500名以上の犠牲者を出したという事故ではあったものの、その後の日本とトルコの友好の歴史のきっかけにも。
「樫野崎灯台」の近くには『エルトゥールル号殉難将士慰霊碑』や『トルコ記念館』があり、この紀伊大島はトルコと日本の絆の島としても知られています。
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地図を見るブラントンは、日本各地の灯台やその付属施設の建設も多く手がけましたが、「樫野崎灯台」では灯台職員の休息・宿泊のための官舎も手掛けました。それが2003年に国の登録有形文化財に指定された「樫野崎灯台旧官舎」。当時はブラントンの住居としても使われていたとされ、紀伊大島の人々はここを「イギリス人の家」と親しみを込めて呼んでいたそうです。
有料にはなりますが、建物内部の見学も可能。内部からは窓越しにスイセンの群落を楽しむことができます。当時のイギリス人技師達の気持ちになって眺めてみるのもいいかもしれませんね。
日本最古の石造灯台「樫野崎灯台」へは潮岬周遊道路から紀伊大橋を経て紀伊大島へ。あとは最東端へ向かって看板に沿って走れば迷うことなく辿り着けます。なお、スイセンの見頃は12月下旬〜2月。せっかくなら花の季節に合わせて訪れて下さい!
■樫野崎灯台
内部は非公開、展望台や周辺部は自由
■樫野崎灯台旧官舎
TEL (0735)65-8515
開館日 土日祝日、11月1日(灯台記念日)、年末年始(12月29日〜1月3日)
開館時間 9:00〜17:00
入館料 大人(中学生以上) 100円
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(2024/9/16更新)
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