写真:乾口 達司
地図を見る地元で「王子の宮」とも呼ばれる軽部神社は、建武元年(1334年)、当地に勢力を張った福山城主・大江田氏が紀伊国・熊野より速玉男命・事解男命・伊弉諾命を勧請し、軽部山に社殿を建立したのがはじまりであるとされます。その後、延宝6年(1678)に天照大神・国常立命をあわせて現在の地に移転造営。明治2年(1869)、それまでの「五社王子権現」から「軽部神社」に社号があらためられました。
ここまで読んで「あれ?」と思った方もいらっしゃるはず。そうなんです。上で紹介した神さまのなかに乳神様の名前が見当たりませんよね?では、なぜ、当社が乳神様と呼ばれ、崇敬されているのでしょうか。その真相はかつて境内に咲き誇っていた「垂乳根の桜」(たらちねのさくら)と呼ばれる枝垂桜にあります。「垂乳根の」は古代より「母」「親」にかかる枕詞。毎年、春になると美しい花を咲かせた垂乳根の桜はそれ自体が崇拝の対象となるとともに、枕詞としての「母」「親」という意味が加わり、いつしか当社全体が乳神様として崇敬されることとなったのでしょう。
垂乳根の桜は後に枯れてしまいますが、それでも乳神様に対する信仰はいまだ健在。お乳の形の絵馬を奉納すれば、お乳をめぐるさまざまな問題は解決してくださるということで、ご覧のように、拝殿にはたくさんのオッパイ絵馬が奉納されています。
写真:乾口 達司
地図を見るお乳に関する願い事はさまざま。なかでも、もっとも多いのは、出産後、お乳がちゃんと出ることを願ったもの。粉ミルクの製造・販売により、今日では母乳でなくても赤ちゃんが育つようになりました。とはいえ、我が子を母乳で育てたいと思うお母さんはいまでも大勢いらっしゃいます。その願いがたくさんのオッパイ絵馬にこめられていることが、この光景からおわかりになるでしょう。出産を控え、お乳の出が心配な方は、一度、お参りされてみてはいかがでしょうか。
写真:乾口 達司
地図を見る母乳で育てるということは、ゆくゆくは我が子に断乳・卒乳の試練を与えるということを意味します。しかし、乳児にとって、これまで当たり前の行為として続けてきた授乳をやめるということは、大きな精神的な負担を抱えることになるかも知れません。そのタイミングや方法を間違えると、お母さんの側も乳腺炎などを患うことになりかねませんよね。そんなときも乳神様の出番。こちらの絵馬からは、乳神様の霊験が断乳や卒乳の際にも求められていることがうかがえます。
写真:乾口 達司
地図を見るこちらも母乳が出ることを願って奉納された絵馬の一枚。しかし、これまでに紹介してきたオッパイ絵馬とは違うなとお気づきになった方もいらっしゃるはず。これまでに紹介した絵馬は、実はいずれも総社吉備路商工会青年部が開発し、販売してきた絵馬奉納キットに各自で願い事を書き記したものなのです。それに対して、写真の絵馬は奉納者が自分で木の板を用意し、そこに手製のオッパイを貼り付け、願い事を記したもので、まさしく自家製のオッパイ絵馬!お時間のある方は自分だけのオリジナルオッパイ絵馬を作り、奉納してみてはいかがでしょうか。
写真:乾口 達司
地図を見るオッパイ絵馬を奉納する拝殿には、ご覧のノートも置かれています。ノートには乳神様への感謝の念などが記されており、たくさんの女性やカップルが当社にお参りしていることがうかがえます。旅のよい思い出ともなりますので、参拝の折には乳神様への思いを綴ってみましょう。
軽部神社がいかに多くの女性たちから崇拝されているか、おわかりになりましたか?今回は特に妊娠や出産、育児に関する願い事の記された絵馬を中心にご紹介しましたが、それに限らず、乳神様はお乳全般について願いをきいてくださる神さま。妊娠や出産に関わらず、お乳のことで何か悩みをお持ちの女性はお参りしてみることをお勧めします。
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(2024/10/16更新)
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