写真:井伊 たびを
地図を見る塚崎鎮座「神明社」は、通称「神明様」と呼ばれ、地域の人々に昔から親しまれている。御祭神は、天照皇大神【あまてらすおおみかみ】(大神宮)、応神天皇【おうじんてんのう】(八幡社)、武甕槌神【たけみかづちのかみ】(春日社)で、三社神明造。
広大な境内には、本殿(三社)、拝殿、神楽殿、弁天池が、いにしえの佇まいを見せる。創建は、鎌倉時代末期とされ、地域の人々はもちろんのこと、参拝の人々を見守り続けている。柏市を代表する由緒ある神社だ。
かなりの勾配である正面の石段を登ると拝殿の前に石鳥居がある。これは、本多正珍(ほんだまさとし)が、宝暦7年(1757年)に奉納したもので、柏市の指定文化財である。
広大な敷地(約3,000坪)の境内には、寛文9年(1669年)に奉納された手洗鉢をはじめ、幾多の石遺物や末社石祠が祀られ、樹木や野草の宝庫である森全域は「沼南の森」として親しまれている。
写真:井伊 たびを
地図を見る拝殿の奥にある黒塗りの玉垣がめぐらされた三社神明造りの本殿は、享保18年(1733年)建立されたものだ。皇室の祖神であり伊勢神宮の御祭神でもある「天照皇大神」を中心に、右に武家の氏神である「八幡大神」、左には公家の氏神である「春日大神」が祀られている。
「天照皇大神」は「正直」を、「八幡大神」は「清浄」を、「春日大神」は「慈悲」を意味すると伝えられ、古来の日本人の在り方、また人として正しく生きるための教えを表していると考えられている。
写真:井伊 たびを
地図を見るこちらの神楽殿では、例祭には「十二座神楽」が奉納される。それは、古代神話をもとに、十二の舞曲からなりたつ荘重な歌舞で、氏子を中心とする有志によって、大切に継承されている。(詳細は記事下の関連MEMOをご参照のこと)
その歴史は古く境内の手水鉢に彫られた銘文によると、およそ350年ほど遡る寛文9年(1669年)には、すでに神楽衆が存在したとされる。
写真:井伊 たびを
地図を見る末社のひとつ「子ノ神社」は、出雲大社の分霊とされる。十干十二支を組み合わせた干支の第一が甲子であることから、すべての始まりの神として重んじられてきた。子は鼠であり大国主命の神使とされている。
しばしば、仏神の大黒天と混同されることもあるが、古くより五穀豊穣、商売繁盛など寿福の神として信仰されている。
また十月は、神無月といい全国の神々が、出雲大社に集まり縁組みの相談をするとの言い伝えがあることから「縁結びの神」ともいわれている。
写真:井伊 たびを
地図を見る御祭神は「木花咲耶姫命(このはなさくやひめ)」である。木花咲耶姫命は、初代天皇である神武天皇の祖親神にあたる「火須勢理命(ほすせり)」の神を産み育てたことから、子授け、安産、子育ての神として信仰が深い。
日本最古の物語「竹取物語」や、平安時代に書かれた三大実録にも「子安神」の名が見てとれるほど、古くから信仰がある。
小高い山の上に建てられた社殿は、伊勢神宮の方角である南南西に向かっている。つまり、拝殿に参拝後参道に向けば、そのはるか彼方に伊勢神宮があるということ。柏市にいながらにして、二拝二拍手一拝すれば、伊勢神宮にも参拝できるというわけだ。
また、こちらには末社が多い。表参道に通じる急斜面の階段脇には、「弁財天社」がある。七福神の一神であり紅一点、琵琶を弾く妖艶な姿で表現される「べんてんさま」。福徳、知恵、音楽、技芸、海神、水神として航海、漁業などの産業神としても崇められている。ここの石塔は宝暦7年(1757年)に、湧き水をたたえた、この弁天池に祀られた。
さらに、珍しい末社として「疱瘡神社(ほうそうじんじゃ)」がある。疫病神の一種である「疱瘡神」が御祭神である。当時の疫病に対する風習が偲ばれる。
「沼南の森」として親しまれている、深い森の中に佇めば、明日への英気も湧いてくる。オススメのスポットだ。
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(2023/12/2更新)
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