提供元:遠藤隆尚
地図を見るインドネシアから北上してきたチャム族が開いたチャンパ王国。その歴史は古く2世紀から長きに渡り、ベトナム中部沿海および中部高原を中心に繁栄してきました。「ミーソン聖域」が建立されたのは4世紀頃。中国の影響から脱却したかった時の王がインド文化を取り入れ、ヒンドゥー教のシヴァ神をまつる木造の神殿を建立したのが事の起こりです。それからミーソンは、聖域として数多くの祠堂(しどう)が建てられるようになりました。
13世紀頃になると「ミーソン聖域」は歴史の表舞台から姿を消し、森に覆われてしまいます。時は流れ20世紀、フランス統治時代にフランス人により発見され、修復が開始されますが、仏像やレリーフの盗難も多かったといわれています。さらにベトナム戦争でも大きな被害を受けました。ミーソン聖域のシンボルともいえる高さ28メートルの壮麗な塔は、アメリカ空軍機B-52の爆撃により破壊されてしまいました。「ミーソン聖域」を歩くと、投下された爆弾が破裂したことによってできたクレーター痕がいくつもあり、かつてこの地で激しい戦争が繰り広げられたことを物語っています。
あまたの困難を乗り越え、現在も発掘、調査、修復作業が行われている「ミーソン聖域」は、いわば発展途上の遺跡です。新しい発見が見られるのを期待して、定期的に訪れるのも楽しいかもしれませんね。
南国の刺さるような日差しからまるで守ってくれているかのように、木々に覆われた森の中の一本道。野鳥のさえずりと森林浴を楽しみながら、駐車場から遺跡を目指して歩きましょう。
「ミーソン聖域」は森の中に点在する遺跡を、グループAからHに区分けしています。もちろん、すべてのグループを散策できるように道が舗装されていますが、修復作業の状況によっては公開されていないグループもあります。散策に出かける前に公開状況を確認してから出発するとよいでしょう。地図と標識板もあるので、道に迷う心配はありません。
*個人で訪れた場合は、入り口で入場料を支払い受け付けで切符を渡した後、電動カートに乗って遺跡散策の起点となる駐車場まで5分ほど移動します。
提供元:遠藤隆尚
地図を見る沿岸に国を築いたチャンパ王国。中国やインド、果てはオランダなどの欧米諸国との交易によって隆盛をきわめ、北ベトナム諸国よりも高い技術力を持っていたといわれています。
「ミーソン聖域」の遺跡を見ると、その高い建築技術の一端が見られます。最大の特徴は赤いレンガで築かれた塔や祠堂です。空高く積み上げられたレンガには、セメントや漆喰(しっくい)などの接着剤を使用した形跡がありません。またいたるところに刻まれた、ヒンドゥー特有の文様やレリーフは、古代インドのグプタ様式や、先アンコール期の影響が見られます。
かつて、アジア最強とうたわれたアンコール王朝へ攻め入ったこともある、チャンパ王国の繁栄が「ミーソン聖域」に投影されています。
祠堂内部には「ミーソン聖域」で発掘された遺産の一部が展示されています。チャンパ王国の繁栄と共に、ベトナムの地で花開いたヒンドゥー教文化を体現しているすばらしいレリーフ、神々や国王の像が見られます。
「ミーソン聖域」の随所で見られる、男女それぞれの象徴であるリンガ(男性器)とヨニ(女性器)。インダス川流域で発生したインダス文明から始まり、のちにヒンドゥー教のシヴァ神の持つエネルギーの象徴として、多くのヒンドゥー教寺院にまつられるようになりました。
この「リンガとヨニ」こそが、「ミーソン聖域」がシヴァ神をまつる寺院だということを証明しています。
いまだ謎多き国、チャンパ王国を知る手掛かりとなる「ミーソン聖域」。世界遺産の街ホイアンから公共バスでいけますが、ホイアンからの日帰りツアーへの参加をお薦めします。人気があるツアーなので、英語ガイドはもちろん日本語ガイドによるツアーも催行しています。
*ミーソン聖域への1日ツアーは、ホイアンのホテルや旅行会社にて取り扱っています。前日までに申込みをしておきましょう。また、日本語ガイドよりも英語ガイドのツアーの方が、料金設定が安いようです。
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