写真:Naoyuki 金井
地図を見るキャンパスの東側にある東館は「東門」も兼ねています。
門の校章の下に刻まれているのが、『学問のすすめ』で有名な「天は人の上に人を造らず人の下に人を造らず」の一節でラテン語で記載されています。
この一節は、殆どの方が福沢諭吉が云った言葉とお思いになるでしょうが、意外なことにこの一節は、米国の独立宣言からの翻訳と考えられており、実際に『学問のすすめ』には、「…造らずといへり」と“云えり”が続けられており、このことから諭吉が考えた一節ではないというのが通説なのです。
そして、この東門は、江戸時代の旧島原藩邸の黒門があったところで、洋風の門に改修され一時期正門として使用されていました。
その後、正門が変わり旧正門はキャンパス内東門の近くに移築され、新たに東館として造られたものなのです。
旧正門のそばには、旧島原藩邸の時代に馬をつないだといわれる馬留石も移設されており、幕末の時代を物語っているのです。
このようにキャンパスには、知られざる歴史やトリビアが散りばめられています。
慶應義塾大学に秘められた歴史と文化、そしてトリビアの魅力を一緒に堪能いたしましょう。
写真:Naoyuki 金井
地図を見る東門の隣で、煉瓦造りの一際輝いている建物が「慶応義塾図書館・旧館」です。
明治40年に創立50周年を迎えた際に、その記念事業として明治45年に竣工され、現在は重要文化財に指定されています。
関東大震災や大戦の戦禍を免れ、建設当初の姿を残しており、東京駅などに通じる明治から大正にかけての煉瓦ロマンを漂わせる壮麗な外観に魅入られます。また、シンボルである右側の八角塔もまた、ゴシック様式の代表的な洋風建築なのです。
更に、図書館内の2階に上がる階段の踊り場にある色鮮やかなステンドグラスは、建学の精神「Calamvs Gladio Fortior(ペンは剣よりも強し)」が書かれた大学のシンボルです。
1階まではどなたでも入館できますので、ステンドグラスや展示されている文献なども見学しておきましょう。
そして、キャンパスの西側にある重要文化財「三田演説館」も必見です。
福沢諭吉が初めて演説した洋風の和装建造物ですが、日本におけるスピーチ(演説)とディベート(討論)を創始したのが諭吉であったとは驚きです。
諭吉の功績が、色々見えてくる建造物なのです。
写真:Naoyuki 金井
地図を見るキャンパスにはアート作品が多く展示されています。
その中で注目は、和風照明“AKARI”のデザインで現在でも人気のある「イサム ノグチ」で、日米両国で世界的な彫刻家として知られ、アメリカでは“アメリカ国民芸術勲章”を、日本では“勲三等瑞宝章”を受賞した日系二世です。
世界各地にモニュメントやランドスケープがあり、公園などの環境設計や舞台美術などの幅広い活動を行ったユニークな芸術家で、日本でも最高裁判所の噴水や札幌市のモエレ沼公園の設計などがあり、香川県高松市牟礼町にはイサム・ノグチ庭園美術館が開設されています。
そしてここ三田キャンパスには「無」「学生」「若い人」と題された三作品や、「イサムノグチルーム」「イサムノグチガーデン」、更に復元されたイサム・ノグチ設計の社交クラブ「旧萬來舎」など多くの作品を見ることができます。
これも、彼の父で詩人でもある野口米次郎が、慶大出身であると共に慶大の教授であった所縁からです。
このほか、北村四海・飯田善国・宇佐美圭司・猪熊弦一郎など、日本の誇る彫刻家の作品も見ることができます。
キャンパスでアートを楽しむのも、よりアカデミックでしょう。
写真:Naoyuki 金井
地図を見るキャンパスの東南方向の一画に緑に覆われベンチなどのある「福沢記念園」があります。
この福沢記念園は、中津藩(現在の大分県)藩士であった福沢諭吉が、江戸築地鉄砲洲の中津藩中屋敷内に創設した蘭学塾が、この地に移転した際に、諭吉の邸宅となった場所です。
当時、移転先の地として旧島原藩邸を手に入れることは難しかったため、東京府からの調査依頼等の交換条件など、様々な手段を講じて入手したそうです。流石に日本で最初に演説を行った諭吉らしいエピソードです。
明治7〜8年頃に建てられた邸宅には、明治34年(1901)2月3日、諭吉が脳出血で亡くなるまでの約30年居住していました。
そして諭吉亡きあと、遺徳を顕彰して記念碑を建立するにあたり、碑の周囲には、特に諭吉が青春を過ごした緒方洪庵の適塾の中庭にあり、洪庵の曾孫・緒方富雄東京大学名誉教授が「適塾蘭」と命名した“藪蘭”が、好意により一部移植されたのです。
それがこの福沢記念園にある「福澤諭吉終焉之地記念碑」なのです。
このほか、「独立自尊の時計塔」「旧制四学校記念碑」「VIRIBUS UNITIS」「ユニコン像」など、その由来と共に紐解くのも一興です。
写真:Naoyuki 金井
地図を見る日本で最初の料理記事は、諭吉が創刊し主筆を務めた『時事新報』の「何にしようネ」というコラムで、1893年9月から翌年2月まで連載され、牛肉やトマトを使った料理などが紹介されたそうです。
また、諭吉が3度に渡る欧米への渡航で見聞した西洋の“食”に関しても『西洋事情』などに記載され、咸臨丸で渡航した際にアメリカで初めて飲んだビールに感動し、後年、晩酌にビールを欠かさなかったなど、意外と諭吉はグルメだったのです。
こうした精神が引き継がれているのでしょうか、キャンパスにいくつかある学食の中で、“山の上にある”ということから名付けられた「山食」は避けては通れません。
伝統のメニューはカレーで、1937年の創業時から変わらない伝統の味を守っており、皿に縁取られたスクールカラーと慶応のロゴマークのなかで「山食」の文字が誇らしげです。
レトルトのようなありがちな味ではなく、スパイシーでコクのあるルーと、シャキシャキの食感の玉ねぎが、いかにも昭和レトロの懐かしい味で、結構なボリュームながら、これが320円というのは流石に学食たる所以です。
この他に、「生協(食堂)」「ザ・カフェテリア」があり、これらはどなたでも入れますので学生時代に戻ってみてはいかがでしょうか。
日本の私学の雄、慶應義塾大学に憧れて、夢半ばで挫折された方も多いでしょう。
そんな悔しい思いの方も含めて、三田キャンパスは、あえて行ってみるべき価値のある観光地です。
基本的に決められた以外の建物の中には入れませんが、キャンパス内は自由に見学ができます。(団体は予約が必要)また、商業撮影などは許可が要りますが、スナップ撮影は自由です。
更に希望者にはキャンパスの見どころのパンフレット(筆者の場合はオフィシャルサイトからダウンロードしました)もあるので、活用されるのが良いでしょう。
あなたも慶応ボーイ&ガールの気分で、キャンパスを闊歩してみてはいかがですか。
※見学は自由ですが、受験時期など、キャンパス内に入れない時期もありますのでご注意ください。
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(2023/11/30更新)
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