京都錦小路の青物問屋生まれの若冲は、晩年このほとりに草庵を構え、1斗の米で1枚の絵を描いたことから斗米庵(とべいあんと)呼ばれました。
石峰寺の寺苑から羅漢石仏のある裏山にのぼる道中右手奥に若冲の墓があります。
黄檗宗の竜宮造の赤門をくぐると一面の竹林のそこここに羅漢さんがそれぞれ考え深げな面持ちでうずくまっているのはとても愉快。
賽の河原、来迎菩薩、説法場などの羅漢群像は、若冲が下絵を書き石工が彫ったと言われるだけあって奇想天外。
ここは盛期に来るときのこで一杯、やぶ蚊も一杯で、それはそれでたのしいのですが、雪の頃はもっと素晴らしいとのこと。
京阪電車深草駅で降り、疎水を渡り東へトロトロ登るとJR奈良線踏切があります。これを越して案内にそって住宅街の間の細道を辿ると黄檗に特有の山門が見えてきます。ここが百丈山・石峰寺です。
百体に近い羅漢像の裏山は、さながらきのこと羅漢さんの小宇宙。
石峰寺から南に数百メートル行ったところには宝塔寺の四脚門があり、これをくぐると幅広い石を敷いた参道がはるかな仁王門へと続き、ただものでない寺院であることが伝わってきます。この仁王門の天井は28cm四方の格子で区切られた約250枚から成る花でうずめられており、平成12年に修復され艶やかな色彩で見るものを魅了してくれます。
慶長13(1608)年に建立された本堂の南には15世紀半ば建造の多宝塔が建っています。
この二層塔は、丸瓦の尻幅が細く、うしろの瓦を直接重ねて葺く行基葺(ぎょうきぶき)と言われる珍しいもの。
多宝塔、本堂の裏手に続く石段の山道を登り切ったところにあるのが七面山で、本堂から約10分ほどで寺の鎮守で吉祥天女を祀る七面社に至ります。
ここからふたたび石峰寺の前を通り、痛み封じのぬりこべ地蔵のあたりから墓苑の脇を登り、ぐるっと大回りして搦め手から伏見稲荷大社に詣でましょう。
商売繁盛でにぎわう伏見稲荷は「千本鳥居」と「お山めぐり」で有名ですが、今回取り上げる広葉樹枯れは、京都の社寺林の樹齢数百年の巨木を襲い、山全体が痛々しい景観を呈するに至っています。
大気汚染や酸性雨で弱った樹木をキクイムシが侵し、引導を渡した後の樹木の脇に顔をのぞかせるのが、地獄からの使者の手招きを思わせるカエンタケ Podostroma cornu-damaeです。
不名誉なことに、富貴をもたらす伏見稲荷も例外ではなく、京都の社寺のそこここにもしばしば顔をのぞかせるようになってしまいました。毒性の強いきのこで、もし見かけても触れるなどは決してしないように。
写真は千本鳥居脇に発生した大人の掌大のカエンタケ。
深草は、藤原俊成が「夕されば野辺の秋風身にしみて鶉鳴くなり深草の里」と歌い上げた歌枕の地。
古代には秦氏が管理する深草の屯倉(みやけ)があり、平安時代には月の名所として貴族たちの別荘があったところ。竹の産地で伏見人形や伏見の酒など近世まで京都でも有数の手工業地帯でもありました。
そんな土地柄ですから、伏見特集ができるほど、楽しめるところは無数にあります。
まずは、<深草入門コース>の伏見稲荷と近隣の由緒ある寺院を巡ったら、次回は是非、<中級コース>と言うべき、稲荷大社や近くの醍醐寺の「お山めぐり」にチャレンジしましょう。
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(2025/1/24更新)
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