奈良に北京?関西有数の難読地名「京終」は奈良の南の玄関口

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奈良に北京?関西有数の難読地名「京終」は奈良の南の玄関口

奈良に北京?関西有数の難読地名「京終」は奈良の南の玄関口

更新日:2015/02/03 15:42

乾口 達司のプロフィール写真 乾口 達司 著述業/日本近代文学会・昭和文学会・日本文学協会会員

奈良町(ならまち)といえば、歴史的な町並みが残る奈良市の旧市街地のこと。現在、奈良町の北方は「きたまち」と呼ばれ、新たな観光名所となっています。では、奈良町の南方は?そこには「京終」と呼ばれる地域があり、かつては奈良の南の玄関口として賑わいました。しかし、この「京終」、いったい何と読むか、ご存知ですか?今回は関西有数の難読地名として知られる京終界隈を散策し、当地の秘められた歴史に触れてみましょう。

ペキンオワリマチ!?「北京終町」のバス停留所

ペキンオワリマチ!?「北京終町」のバス停留所

写真:乾口 達司

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「京終」が何と読むか、まずはお教えしましょう。正解は「キョウバテ」。その名のとおり、京(平城京)の果て(終わるところ)という意味に由来します。行政上、現在は複数の町に分割されており、それにもとづき、バスの停留所にもそれぞれの町名がつけられています。

「北京終町」の名がついたご覧のバス停留所もそのうちの一つ。京終が「キョウバテ」ですから「北京終町」の読み方ももうおわかりでしょう。正解は「キタキョウバテチョウ」。しかし、「京終」の読み方を知らない人は「ペキンオワリマチ」と読んでしまいがち。同様に北京終町の南に位置する南京終町は「ナンキンオワリマチ」ではありません!

付近にはほかにも、京終地方西側町や京終地方東側町といった町名が存在します。これらもそれぞれ「キョウバテジカタニシガワチョウ」「キョウバテジカタヒガシガワチョウ」と読みますが、「京終」だけでも難易度が高いのにこれらはそれを上回る強敵ですね。

10円おみくじ!?飛鳥の地に由来する京終天神社

10円おみくじ!?飛鳥の地に由来する京終天神社

写真:乾口 達司

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北京終町の一角にたたずむ京終天神社の別名は「飛鳥神社」。その名のとおり、もとは飛鳥(奈良県明日香村)の真神ヶ原に鎮座していました。都が飛鳥から奈良の地に遷るに際して、当社も左京四条の地に遷り、国家鎮護の社と位置づけられました。現在の地に遷されたのは応安2年(1369)のこと。本殿は春日大社の末社・水谷神社の本殿を移築したものと伝えられています。拝殿にはおみくじ機が据えつけられていますが、その料金はいまどき珍しく何と10円!当社を訪れたら、ぜひ、その10円おみくじを引いてみましょう。

京終の歴史を見つめてきた京終地蔵院・阿弥陀三尊石仏

京終の歴史を見つめてきた京終地蔵院・阿弥陀三尊石仏

写真:乾口 達司

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京終天神社から徒歩数分のところにひっそりたたずむのが、京終地蔵院。その入口に立つのが写真の阿弥陀三尊石仏です。高さ175センチメートル、幅 102センチメートルの大きな船型光背を背にして立っておられます。鎌倉時代後期から南北朝時代にかけての作と考えられており、もとは当地より南西にあった辻堂にまつられていました。造形的にも優れており、このあたりでは屈指の石仏といえるでしょう。京終の歴史を見つめてきた仏さまですから、京終散策の折にはお参りしましょう。

リフトの発着駅!?物資の集積地としての役割をになったJR京終駅

リフトの発着駅!?物資の集積地としての役割をになったJR京終駅

写真:乾口 達司

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JR京終駅は「万葉まほろば線」の愛称で知られるJR桜井線の駅の一つ。その歴史は古く、明治31年(1898)、当時の奈良鉄道が桜井駅以北の路線を敷設した折、その終着駅として設けられたことにはじまります。京終が奈良の南の玄関口であったことから、かつては県内の中南部地域から運搬されてきた物資が京終駅で荷下ろしされ、奈良町界隈に運ばれていました。現在ではかつての賑わいがまるで嘘のようにひっそりと静まりかえっていますが、駅舎の横に貨物列車用の引込み線が残されている点に、当時の名残りが見られます。

ちなみに、京終駅は山間部の都祁地域と平野部とを結んだ16.9キロメートルのロープウェイ「奈良安全索道」(大正7年敷設・昭和26年廃止)の西側の終着駅でもあり、ロープウェイを通じて、山間部でとれた物資などが運ばれてきていました。残念ながら、駅の周辺にはロープウェイの痕跡は見当たりませんが、この点からも京終駅が物資の集積地としての機能をになっていたことがうかがえるでしょう。

古き良き時代の街の面影を残す上ツ道(上街道)

古き良き時代の街の面影を残す上ツ道(上街道)

写真:乾口 達司

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平城京の南東の端に位置する京終。ここからは南に向って古代からの官道がのびていました。それが上ツ道(かみつみち)です。都が京都に移されると官道としての役割は失われますが、その後は大神神社や長谷寺、さらには伊勢神宮へと続く信仰の道として機能し、多くの巡礼者でにぎわいました。

ご覧のように、現在も街道筋には空海が植えたとされる御神木(現在は3代目)がまつられた椚神社が残されています。ほかにも、文政年間に建立された大きな石燈籠が残り、京終界隈の豊かな歴史が感じられます。その歴史性にあわせるかのように街並みにも時代を感じさせるひなびた面影が残っており、古き良き昭和の時代にタイムスリップしたかのような錯覚をおぼえます。

おわりに

奈良町と深い関わりを持っているにもかかわらず、まだまだ全国的な知名度を獲得するにはいたっていない京終界隈。しかし、奈良町の北方が「きたまち」という名で観光スポット化しつつある今日、それに続くのが、ここ、京終界隈であることは間違いありません。今回は歴史遺産を中心にご紹介しましたが、ほかにも幕末から営業している醤油屋さんや創業100年の歴史を持つ酒屋さんなど、私たちの暮らしと関わる魅力的なお店もたくさん存在します。この機会に京終界隈を散策し、新たな奈良の魅力に触れてみてください。

掲載内容は執筆時点のものです。 2015/02/01 訪問

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