宮本武蔵決闘の場・因幡街道「平福宿(兵庫)」の川端風景

宮本武蔵決闘の場・因幡街道「平福宿(兵庫)」の川端風景

更新日:2015/02/27 12:17

Ise Shinkurouのプロフィール写真 Ise Shinkurou
鳥取藩の参勤交代街道として利用された「因幡街道」は、日本海と瀬戸内海の物資の流通路でもあり、江戸の頃には多くの人々が往還しました。そしてこの街道筋最大の規模を誇る「平福宿」にある「川端風景」は、往時の旅を彷彿させる素晴らしい景観を誇ります。また剣豪「宮本武蔵」が初決闘をした場・金倉橋もこの宿場町に!武蔵が暮らした兵庫県佐用町で、川座敷や土蔵群を眺めながらノスタルジックな散策はいかがですか?

往時の雰囲気を残す宿場町

往時の雰囲気を残す宿場町

写真:Ise Shinkurou

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播磨国(姫路)と因幡国(鳥取)を結ぶ脇街道「因幡街道」は、鳥取・岡山・兵庫の県境に位置し、兵庫県・国道373号線は当時の街道とほぼ同じルートを通っています。

そして国道沿いには、江戸時代の雰囲気を色濃く残す宿場町が点在していますが、中でも最大の規模を誇るのが今回ご紹介する「平福宿」。

この宿場町は「作用川」の川沿いに置かれ、その「川端風景」は往時の雰囲気を色濃く残し、時代劇の撮影スポットとしても知られています。

本陣跡の境内にある老松

本陣跡の境内にある老松

写真:Ise Shinkurou

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現在は「素戔嗚(すさのお)神社」の御旅所(祭礼の時に神が宿泊する地)になっている鳥取池田藩の本陣跡は、漆喰のなまこ壁と千鳥格子の正門が本陣としての威容を伝え、この宿場町の往時の賑わいを感じさせてくれます。

境内にある老松は長い歴史の中を生きてきた事を示す、存在感のある素晴らしい古木。自由に入れますので是非ご覧下さい。

また本陣跡前にある「観光案内所」では、地元の方がこの宿場町の特徴とお勧めスポットを説明していますので、お立ち寄り頂いて散策マップを入手して下さいね。地元の方との何気ない会話は旅に素敵な彩りを加えてくれますよね。

マップを手に宿場町を散策されると、千本格子や虫籠窓などを持つ懐かしい町家が並び、古く良き時代の日本家屋を眺めながらの時代散歩を愉しんで頂けます。中でもお勧めは「瓜生原家(うりゅうばらけ)」!江戸初期から鋳物業を営んでいたこの商家は、切妻の屋根・軒下の目隠し等この地域ならではの町家の雰囲気を色濃く残す素敵な建物。

川端風景が素晴らしい

川端風景が素晴らしい

写真:Ise Shinkurou

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この宿場町ならではの景観はやはり「川端風景」!川沿いに高く積まれた石垣と薄茶色の土壁、さらには宿場町らしい千鳥格子の座敷窓は歴史の重みを感じさせてくれます。

川に面した座敷「川座敷」は、夏の涼を求めるためのこの宿場町ならではの間取り!風情ある景観は時代劇の背景にぴったりですね。

澄んだ流れを持つ川と石垣・土壁のコントラストを愉しみながら、江戸時代の旅人と同じ素敵な散策をお楽しみ頂けます。

宮本武蔵決闘の場

宮本武蔵決闘の場

写真:Ise Shinkurou

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ここ平福は宮本武蔵の義母が再嫁した場所で、彼は義理の母を慕ってこの地で暮らし、正蓮庵の道林坊のもとで武道を学んだと言われています。

武蔵13歳の時、新当流の達人である有馬喜兵衛が掲げた「何人なりとも望みしだい手合せいたすべし。われこそ日下無双兵法者なり」との高札を目にし決闘を!

子ども相手と侮られながら試合に挑み、一刀のもとに倒したと伝わります。

写真は武蔵初決闘の場「金倉橋のたもと」ですが、江戸時代には平福藩の刑場として利用され、風雪に晒されて建つ六地蔵がその雰囲気を醸し出します。

また鬱蒼とした小山を背景にした河原は竹矢来で囲まれ、今にも若き武蔵が現れそう!「五輪書序文」が書かれた石碑が建ち、やはり兵法者としての人生が始まる場所なのですね。

まとめ

平福宿の川端風景を愉しまれるにはゆっくりと散策されるのがお勧め!お車の方は道の駅「宿場町ひらふく」から徒歩で散策されると便利です。(「本陣跡」まで歩いて二分程。)また道の駅隣には1864年建築の「陣屋門」がありますので、そちらもお勧めです。

街道筋には「智頭宿」と呼ばれる宿場町も残りますので,そちらもお立ち寄り頂くとより因幡海道を愉しんで頂けるかと思います。MEMO欄よりどうぞ。

掲載内容は執筆時点のものです。 2013/09/21 訪問

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