迫力満点のこのお菓子、「清浄歓喜団(せいじょうかんきだん)」と、名前もとってもユニークなんです!
清浄歓喜団は、奈良時代に仏教と共に遣唐使によって伝えられた唐菓子(からくだもの)の一つで、密教のお供え物でした。一般庶民はとても口にすることは出来ず、貴族だけに与えられたものです。
米粉と小麦粉の生地で餡を包み、巾着袋の形にしてごま油で香ばしく揚げたもの。かなり固いのですが、かじりつくと不思議な(?)匂いがします。ス〜っとするような、ハーブのような…。
実は、餡の中に、ハッカ、丁子(ちょうじ)、肉桂(にっき)など、七種の香りが混ぜられています。
かじった瞬間はちょっとビックリ!するかも知れませんが、甘さもおさえてあり、後でまた食べたくなるような…やみつきになりそうな味です。
「亀屋清永」では、その秘法を比叡山の阿闍梨(あじゃり)から習い、千年前の姿をそのまま伝える京菓子の一つとして販売しています。
古い歴史があっても、現代的に感じる味!!ぜひ体験してみて♪
宮中で、人手が足りない時に、餅を丸める手間を惜しんで引きちぎったのが由来と言われる「引千切(ひちぎり)」。その形から「ひきちぎり」や「あこや餅」とも称されます。京都では欠かせないひな祭りの上生菓子です。
元々、中国では3月3日を上巳(じょうし)と呼び、川で禊(みそぎ)をし、母子草を食べて邪気を払う風習がありました。これが日本に入って、よもぎ餅や川遊びが雛遊びの行事となり、女の子の祭りとして民衆に広まったようです。
その行事の中で、公家のお餅としてこの「引千切」が登場しました。餅は、ヨモギでも求肥でもいいのですが、大切なのはその「引きちぎったような形」です!そして、その引きちぎった餅が杓子になり、その上に「きんとん」や「餡」をのせて、華やかな「引千切」を作ります。
京都の老舗の菓子店には、ひな祭りが近づくと競ってこの可愛らしい「引千切」が店舗に並びます。写真は「永楽屋」のものですが、この時期に京都を訪れたら、ぜひ味わってみてくださいね♪
袋を開けた瞬間に、磯の香りがいっぱいに広がる「真盛豆(しんせいまめ)」(写真左)。香ばしく炒った黒豆を州浜粉(すはまこ:大豆、青豆を煎って挽いたもの)で包み、表面に青のりをまぶした菓子です。
400年以上も昔、天台宗真盛派の開祖、慈摂大師(真盛上人)が説法をする時に、聴衆にふるまった豆がその始まり。北野大茶湯で豊臣秀吉(京菓子を語るとき、毎回のように登場しますが…)が、茶事に合う豆菓子として褒めたことから、今も茶人に好まれているということです。
口に入れると磯の香りが口いっぱいに広がり、ほんのり甘い州浜粉が溶けると中から香ばしい黒豆が出てきます。細川幽斉が“苔むす豆”と歌に詠んだのも面白いですね。現在はこの「竹濱義春」と「金谷正廣」の2店舗のみで作られています。
写真右は「祇園ちご餅」。
日本三大祭りの一つ、京都の祇園祭。
7月13日、長刀鉾の稚児が位を頂く「お位」もらいの式が八坂神社本殿で行われますが、その時供えるのが“稚児餅”。「二軒茶屋中村楼」が代々献じ、中村楼の茶店で7月13日〜31日にだけ食べることが出来ます。
「祇園ちご餅」はそれに由来したもので、「三條若狭屋」で販売されています。大正初期、お稚児さんのお世話をしていた2代目のご主人が、京菓子として創意工夫を加え販売しました。祇園祭の粽(ちまき)のような竹の皮風の包みに、竹串に刺した3本のちご餅が入っています。三色の護符のようなヒラヒラがついていて、お土産にもぴったりですね♪
京都のお餅屋、お団子屋の中でも一、二を争う人気なのが、「中村軒」です。そして、その代表銘菓が「麦代餅(むぎてもち)」(写真左)です。
程よい甘さの粒餡入りの餅に、きな粉をふりかけたこの菓子は、昔は農作業の間食として食べられていたもの。多忙な農繁期には、直接田畑に届けられ、刈り取った麦で菓子代を支払ったことから、「麦代餅」の名前が付きました。当時は麦代餅2個につき麦約5合の割だったということで、物々交換の名残です。材料に麦が使われているのではないのですね♪
お店では、現在も餡子を昔ながらのおくどさん(かまど)で炊き上げているそうです。冷えると固くなってしまうので、お店で頂くのがベストですよ!
写真右は「唐板(からいた)」、上御霊神社門前の名物菓子です。
今から千年以上も昔、疫病が流行り、悪霊退散のための御霊会(ごりょうえ)が開かれた時、厄除けの煎餅としてふるまわれたのが唐板の起源です。
サクッとしていて、しっかりしているけど口の中でほんのり甘く溶けていく…素朴だけれど、一度食べたら忘れられない味です♪
表面の焼き色も、水玉模様だったりクレーターのようにボコボコしていたり…一枚一枚違っていて、自分のお気に入りを探すのも楽しいですよ!
「天神さん」と呼ばれ、1500本の梅と紅葉で有名な学問の神様、「北野天満宮」の門前、大鳥居の向かいに「粟餅所澤屋(あわもちどころさわや)」があります。「粟餅」(写真左)はこし餡で餅をくるんだあん餅と、きな粉をまぶしたきな粉餅の2種類があり、地元京都の人たちの間でも大人気です。
あん餅は丸く、きな粉餅は細長い。きな粉はつけてもこぼれやすいので、たくさんつくように表面積を大きくしているとのこと、代々伝わる心遣いに感動です!
持ち帰りもできますが、注文してから丸めてくれる粟餅は温かくて柔らかいので、店内でいただくのがおススメです♪
一人前、あん餅3個ときな粉餅2個のものと、あん餅2個ときな粉餅1個のものがあります。米の餅より軽いので、5個くらいペロッと食べられますよ!
写真右の「長五郎餅」は今から400年以上も昔、太閤秀吉が開いた北野大茶会の際用いられたという、由緒正しい上品な餅菓子です。こし餡を包んだ薄皮は、赤ちゃんの肌のようになめらかで柔らかです。なんでも、秀吉が初めてこの餅を口にした時たいそう気に入って、「以後、長五郎餅と名乗るべし!」と、命名されたそうです。
本店は北野天満宮から南に下がった所にありますが、毎月25日の市の日と正月、節分、梅のシーズンの土日には天満宮境内に出店しています!
いかがでしたか?個性豊かで、味わい深い京菓子、お気に入りはありましたか?
日本の菓子のルーツは木の実や果物にあり、もともと「果子」であったと言われます。奈良時代に入ると遣唐使によって唐菓子(からくだもの)が、16世紀にはヨーロッパから南蛮菓子が伝わり、神社仏閣の儀式や貴族の宴卓に使われました。日本の菓子はそれらの影響を受け、日本独特の変化を見せながら発達したのです。
鎌倉時代、栄西禅師が茶を持ち帰ると、喫茶や点心(間食)の風習が広まり、饅頭や羊羹など現在の京菓子の原型ができました。
江戸時代に入ると庶民にも普及し、茶の湯の発展に伴って、趣味・趣向を凝らした文化性や芸術性の高い菓子が作られるようになり、花鳥風月や四季折々の風景など、風雅な日本的感性を表現したものが多く生み出されてきました。
ご紹介したのは、数ある京菓子の中のほんの一部です。京都を訪れたら、ちょっと気を付けて京菓子を探してみてください!抹茶味の新作京都スイーツも美味しいですが、歴史ある老舗の京菓子もぜひ味わってくださいね!!
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