写真:旅人間
地図を見る鞆の浦は、坂本龍馬と深い関わりのある土地でもあります。1867年4月23日に起きた「いろは丸沈没事件」に関する場所。つまり坂本龍馬が率いる海援隊の船「いろは丸」と紀州藩の船「明光丸」が衝突し、いろは丸が沈没してしまった事件です。
相手は江戸幕府の御三家でもある紀州藩。常識では絶対勝てない交渉でしたが、坂本龍馬は政治力、交渉能力、そして広範囲な人脈を駆使し、最終的には国際法の「万国公法」を持ち出し紀州藩側の過失を追及。鞆の浦は、この日本で最初の海難審判事故の舞台となった場所です。
そんな「いろは丸」を再現した『平成いろは丸』が、現在この鞆の浦から仙酔島を行き来しています。始発は朝の7時10分、1時間に2本〜3本ほど。船内には龍馬に関する展示があり、乗り心地も良く快適。乗車券も往復で240円と驚きの安さです。少し龍馬を意識して海の旅を楽しんでみませんか♪
『平成いろは丸』
住所:福山市鞆町後地、市営渡船場
電話番号:084−982−2115
営業時間:7:10〜21:30
入館料:往復 大人240円 小人120円
写真:旅人間
地図を見る日本で最初の海難審判事故と言われている「いろは丸沈没事件」。その賠償金は、現在の価格に換算すると20億とも40億とも言われる8万両もの額になったそうです。
『いろは丸展示館』では、海難事故がどのような経緯で起きたのかを分かりやすく展示されているだけでなく、沈没した「いろは丸」の発掘調査の様子や、発掘調査で引き揚げられた沈没船の残骸も展示されています(発見され展示されている残骸は主に古伊万里茶碗、鉄材やガラス板など)。
龍馬が紀州藩から8万両の賠償金を得たのは、沈没した船にミニエー銃400丁、銃火器3万5630両、金塊など4万7896両198文を積んでいたと主張したからです。
しかし現在の調査の段階では、まだそれらは一つも見つかっていないようです。まだ海の底にお宝がザクザク眠っているのか?それとも実は龍馬の吹っかけだったのか?そんな事を想像して展示館を見てみるのも面白いですね。
『いろは丸展示館』
住所:広島県福山市鞆町鞆843−1
電話番号:084−982−1681
入館時間:10:00〜17:00
入館料:小学生以上200円
写真:旅人間
地図を見る鞆の浦で絶対に見逃せない観光名所の一つ『対潮楼(たいちょうろう)』。ここは「いろは丸沈没事件」の際、海援隊と紀州藩の交渉の場となった場所。
平安時代の創建と伝わる海岸山千手院福禅寺の本堂に隣接する客殿の対潮楼は、江戸時代に創建されたもの。ここから見える景色は「お見事!」とつい言ってしまうほどに素晴らしい!
また、かつて朝鮮通信使のための迎賓館として使用された際、朝鮮より東で一番美しい景勝地「日東第一形勝」と賞賛した、従事官・李邦彦の言葉が飾られています。
目の前には「弁天島」とパワースポットとして名高い「仙酔島」が見え、そして「平成いろは丸」が海上を行き交う姿も見ることが出来ます。ここは必ず立ち寄っておきましょう。
『福禅寺・対潮楼』
住所:福山市 鞆町2番地
電話番号:084−982−2705
入館時間:8:00〜17:00
入館料:大人200円 中・高生150円 小学生100円
写真:旅人間
地図を見るいろは丸の沈没事故の後、龍馬たち海援隊は廻船問屋の「桝屋清右衛門宅」へ、紀州藩は「圓福寺」に宿泊し、その中間地点であった旅館「魚屋萬蔵宅」で談判が行われました。鞆の浦を旅する時には、それぞれ歩いて行けますので、ぜひ巡ってみましょう。
特にこの『桝屋清右衛門宅(ますやせいえもんたく)』は、龍馬の隠れ部屋も見ることが出来る貴重な場所。龍馬ファンは感動すること間違いありませんよ。
『桝屋清右衛門宅』
住所:広島県福山市鞆町鞆422番地
電話番号:084−982−3788
入館時間:午前9時〜午後4時30分
入館料:(大人)200円(小中高)100円
写真:旅人間
地図を見るいろは丸事件に関しては、NHK大河ドラマ『龍馬伝』でも大きく取り上げていましたので、鞆の浦が坂本龍馬に関係深い土地であることを知っている人は多いと思います。しかし、当時龍馬が隠れ住んでいた部屋が現存することは、知らない人が少なくありません。鞆の浦に来て、この場所を見ずに帰ってしまうのは非常にもったいない!
この『桝屋清右衛門宅』にある龍馬の隠れ部屋は、1989年の調査で発見されました。しかし、ほこりや傷みがひどく、また天井裏に通じる階段もなく一般に公開される状態ではなかったそうです。そして広島県などの補助金を利用し2010年に整備を進め、2011年の4月から広く公開されることとなったのです。
まるで忍者屋敷のように入り組んだ奥の奥に、この部屋はあります。そして室内には京都の寺田屋宛てに書いている手紙のレプリカも置かれ雰囲気抜群ですよ。
幕末の英雄として人気ある龍馬が暗殺されたのは1867年の11月15日でした。そして「いろは沈没丸事件」が起きたのは、同年の4月23日。つまり、この鞆の浦は、坂本龍馬が最後の時を熱く過ごした場所でもあるのですよ。
この事件は、紀州藩が事故から1か月後に賠償金8万両を支払う事で決着し、最終的には7万両に減額され、11月7日に長崎で支払われたそうです。そして紀州藩が賠償金を支払った8日後に龍馬は京都で何者かに暗殺されます。
この暗殺に関しては謎が多く、真実は分かっていません。しかし、「いろは丸沈没事件」を一つの仮説として、この背景を想像した上で、この鞆の浦を巡ると、旅はより一層楽しくなるはずです。この旅ルートは本当に楽しいですよ!
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(2024/12/13更新)
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