写真:bow
地図を見る京都の幕末関連の史跡が数多く点在する木屋町界隈エリア。その散策の起点となるのが「京都ホテルオークラ」です。市営地下鉄京都市役所前駅、もしくは京都市バス京都市役所前下車すぐ。京都市内の中心、京都市役所の通りを挟んだ向かい側にある大きなホテルで、京都を代表するホテルのひとつです。
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地図を見る出発地点である「京都ホテルオークラ」は過激な尊王攘夷を掲げた長州藩の屋敷跡でもあるのです。
「八月十八日の政変」で勢力を削がれた長州藩ですが、その後も勢力奪還を狙い、池田屋事件を発端に武力衝突「禁門の変」が勃発。その結果、長州藩は敗れてここにあった長州藩邸を焼き払って京都から撤退したのです。この際に長州藩邸付近からでた火の手が京都市内を襲った大火災「どんどん焼け」の原因のひとつとされています。
※碑は京都ホテルオークラの南東角、駐車場入口付近にあります
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地図を見る「京都ホテルオークラ」にはもうひとつ、桂小五郎像も立っています。維新の三傑である西郷隆盛、大久保利通とならんで倒幕・明治維新の功労者である桂小五郎(木戸孝允)は長州藩士であり吉田松陰の門下生。そんな桂小五郎の事績を顕彰し、像が建てられています。
※像は京都ホテルオークラの北西角、駐車場出口付近にあります
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地図を見る桂小五郎は花街である三本木の売れっ子芸妓・幾松と恋仲だったのは有名。このふたりは幾多の危機を乗り越えた命がけの恋だったので幕末最大のロマンスとされています。桂小五郎と幾松の寓居跡は料理旅館「幾松」として登録有形文化財に指定、その姿を現代まで伝えているのです。
<桂小五郎・幾松寓居跡の基本情報>
住所:京都市中京区上樵木町498
アクセス:「京都ホテルオークラ」から東へ、木屋町通りを少し北上すると見えてきます。
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地図を見る維新十傑のひとり、大村益次郎。長州征討、戊辰戦争で卓越した指揮により勝利に導き、その後日本陸軍の創始者としても称えられました。しかし新政府に反対する浪士に襲われ、命を落とすことに。大村益次郎が襲撃された宿の跡を示す「大村益次郎卿遭難之碑」は桂小五郎・幾松寓居跡の川を挟んだ向いにあります。
そしてそれに並んでいるのが「象山先生遭難の碑」。吉田松陰の師にもあたる兵学者でもあり、公武合体論・開国論派として知られた佐久間象山は幕末の志士達に多くの影響を与えました。しかし尊王攘夷派からは疎まれる存在であり、刺客によってその命を奪われたのがこの地なのです。
<大村益次郎卿遭難之碑・象山先生遭難之碑の基本情報>
住所:京都市中京区上樵木町
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地図を見るペリー来航の10年も前に国防を論じた意見書「海防八策」を幕府に提出したという佐久間象山。ペリーが二度目に来航したとき、吉田松陰が密航を失敗。それに象山が関わっていたということで処分され、その後も長らく蟄居を余儀なくされました。
その後慶喜によって蟄居がとけ、再び国防のために京へと上った佐久間象山の寓居があったのが三条木屋町を少し南に入ったところ。ちょうどガレージの入口脇に石碑が立っています。遭難の碑ともほど近いので併せて訪ねてみましょう。
<佐久間象山寓居跡の基本情報>
住所:京都市中京区上大阪町516
アクセス:ホテルオークラ京都から木屋町通りを南へ徒歩2分
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地図を見る武市瑞山といえば武市半平太という名の方がピンとくる人も多いでしょう。土佐勤王党を結成し、土佐藩内の公武合体派を退けて藩論を変えた人物。岡田以蔵らに命じて過激な活動で幕府を恐れさせました。その隣には天誅組・吉村寅太郎の寓居跡も並んでいます。
<武市瑞山寓居之跡碑の基本情報>
住所:京都市中京区上大阪町528
アクセス:佐久間象山寓居跡から南へ徒歩1分
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地図を見る新撰組が一躍有名になった「池田屋事件」。長州藩の陰謀を突き止めた新撰組が尊王攘夷派の志士達を襲撃した現場。現在は新撰組をテーマにした居酒屋で池田屋を名乗ってはいるものの、当時の池田屋とは関係がありません。
<池田屋騒動之址碑の基本情報>
住所:京都市中京区中島町82
アクセス:武市隋山寓居之跡碑から南へ1分、「三条木屋町」を西へ徒歩1分
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地図を見る海援隊本部があった「酢屋」のある通りは「龍馬通」として現在もその名を遺しています。
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地図を見るその龍馬通りを木屋町通りから西へと入れば「酢屋」が見えてきます。創業から300年近く続く材木商の「酢屋」は龍馬が海援隊の本部を置き、大政奉還への活動拠点としていた場所。現在も酢屋の2階は龍馬との歴史を紹介する「ギャラリー龍馬」となっています。入場料がかかりますが、ファンは必見!
<酢屋の基本情報>
住所:京都市中京区河原町通三条下る大黒町47
電話番号:075-211-7700
入場料:ギャラリー龍馬 500円
アクセス:三条木屋町から南に1つ目の筋を西へ約1分
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地図を見る龍馬通りからさらに南へと進めば「土佐藩邸跡」が見えてきます。武市瑞山、坂本竜馬、中岡慎太郎、後藤象二郎ら土佐藩出身の志士達の本拠地がここにあったのです。
<土佐藩邸跡の基本情報>
住所:京都市中京区備前島町(木屋町通蛸薬師角)
アクセス:酢屋から木屋町通り沿いを南へ約3分
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地図を見る土佐藩邸跡碑から西へと入れば「土佐稲荷岬神社」があります。もともと土佐藩邸内にあったとされていますが、地元民からの信仰が篤かったので自由に参拝できるように解放されていたそう。坂本龍馬や中岡慎太郎らが参詣していたとされます。
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地図を見るその境内にはこの土佐稲荷岬神社を崇敬していたという龍馬の少し小ぶりなサイズの像があります。この像は心無い人たちから幾度も襲撃を受け、新調されたもの。ファンなら大事にしてほしいものです。
<土佐稲荷・岬神社の基本情報>
住所:京都市中京区備前島町317-2
アクセス:土佐藩邸跡から西へ徒歩約1分
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地図を見る坂本龍馬と中岡慎太郎は醤油商・近江屋の二階にいた際、数名による襲撃をうけ両名とも命を落としました。その現場が今や繁華街にある回転寿司屋!その傍らに石碑を残しています。首謀者、実行者ともに諸説あるものの謎に包まれたまま。幕末のヒーロー最後の地をかみしめてみましょう。
<坂本龍馬・中岡慎太郎遭難之地碑(近江屋跡)の基本情報>
住所:京都市中京区奈良屋町297
アクセス:土佐稲荷・岬神社から西へ約1分、河原町通りを南へ約1分
紹介しきれないスポットがまだまだ他にもありますが、1時間で歩いてまわれる木屋町界隈の幕末スポットを紹介いたしました。京都で一番の繁華街にありながら幕末の志士たちの息吹が感じられる木屋町界隈、幕末ファンのみならず訪れてみてください。
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(2024/10/10更新)
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