神々のふるさとをゆく〜奈良・葛城古道〜

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神々のふるさとをゆく〜奈良・葛城古道〜

神々のふるさとをゆく〜奈良・葛城古道〜

更新日:2013/02/20 10:58

沢木 慎太郎のプロフィール写真 沢木 慎太郎 放送局ディレクター、紀行小説家

日本で最も古い歴史書である古事記。
太陽を神格化した神で、皇室の祖とされる天照大神(あまてらすおおかみ)の孫であるニニギ(天孫)が、葦原中国(日本のこと)を治めるため、高天原から地上に降りた(天孫降臨)とされる内容が書かれています。
奈良の葛城の里は、九州・宮崎の高千穂と本家争いをしている神話の『天孫降臨』の地のひとつとなっています。神話の舞台に残る神社や古刹を訪ねる旅はいかがでしょうか?

『天孫降臨』の地に建つ高天彦神社

『天孫降臨』の地に建つ高天彦神社

写真:沢木 慎太郎

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金剛・葛城山系の奈良県側に広がる山裾。
近鉄御所(ごせ)駅の西側、鴨山口神社から風の森峠のあたりまで全長約13kmが、“葛城古道”と呼ばれている散策コースです。雪景色や彼岸花など、四季折々で異なった表情を見せる田園風景から、万葉集で詠まれた天香久山(あまのかぐやま)、畝傍山(うねびやま)、耳成山(みみなしやま)の大和三山を遠望することができます。

私が好きなのは、高天彦神社(たかまひこじんじゃ)です。
雪の中にひっそりと佇む姿は、誰も寄せつけない威厳を保ちながらも、真剣に向きあえば願いごとを聞いてくれるような、暖かく深い慈しみが感じられます。

奈良県御所市にある高天彦神社のまわりは、古から高天原の地と伝えられています。
大阪と奈良の府県境にある金剛山は、かつては高天山(たかまやま)といわれ、奈良県側に広がる金剛山の麓は、古くは葛城(かつらぎ)と呼ばれていました。
大和朝廷よりも古い時代に、豪族の葛城氏・鴨(加茂)氏が治めた地域で、葛城氏の氏神を祀っているのが、高天彦神社です。

杉木立に囲まれた急な山道を登り切ると、突然に視界が開け、鬱蒼とした巨大な杉の古木に囲まれた参道に出ます。雪が積もった日などは、厳粛な空気が張り詰め、神さびた雰囲気を漂わせています。
祭神は、葛城氏の祖神である高皇産霊(たかみむすび)神のほか、スサノオの剣から生まれたとされる市杵嶋姫命(いちきしまひめ)や、平安時代の貴族で、学問の神様である菅原道真も祀られています。

高天彦神社の狛犬

高天彦神社の狛犬

写真:沢木 慎太郎

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高天彦神社は、金剛山への登山道の入り口にもなっています。
金剛山は、山にこもって滝に打たれたり、高い崖から身を乗り出したりして、厳しい修行を行なうことで悟りを得ようとする修験道を始めた役小角(えんのおづの)が修行した山で知られています。
奈良県御所市は、役小角が生まれた地で、小角は加茂氏(賀茂氏)から出た氏族であるため、加茂役君(賀茂役君)とも呼ばれることがあります。

天孫降臨の地について、『古事記』では「竺紫の日向の高千穂の久士布流多気(くしふるだけ)に天降りまさしめき」と記述されています。
『日本書紀』では、「日向襲之高千穗峯」「筑紫日向高千穗」と表記されています。このため、ニニギは日向国の高千穂峰に降り立ったとされる説が有力とされています。

しかし、そもそも、神々が住む高天原はどこなのか。
神は天界や宇宙にいるのに決まっているという人や、神というのは人のことであるから神話には何らかの史実があり、高天原は地上に実在したものだという人がいます。
また、神話は作り話だから、高天原はまったく空想の世界で、どこにあるかなどと考えるだけむだであるという人もいれば、高天原は人の心の中にあると語る人もいます。
つまりは、誰にもわからないのです。

江戸時代初頭までは、高天彦神社の地が高天原だと考えられていたようです。

樹林に囲まれた『蜘蛛窟』の石碑

樹林に囲まれた『蜘蛛窟』の石碑

写真:沢木 慎太郎

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ところで、奈良・御所の葛城地方では、“昔、千本の足をもつ大きな土蜘蛛が住んでいた。”とされる『土蜘蛛(つちぐも)』伝説があります。日本書記では、土蜘蛛のことを「そのひととなり、身短くして手足長し」と記述しています。
高天彦神社の近くに土蜘蛛が住んでいたとされ、樹林に囲まれた小高い丘には『蜘蛛窟』の石碑が建っています。
葛城古道の史跡で最も見つけにくい場所とされています。

伝承によると、日本の初代天皇で、初めて日本を統一し、大和朝廷を築いた神武天皇(じんむてんのう)が東征した時に、先住の人々は神武天皇の皇軍に従わずに抵抗しました。土蜘蛛というのは、天皇に従わなかった地方の豪族たちのことで、日本の各地で記録されています。

神武天皇の皇軍は、カツラの木で網を作り、反抗する土蜘蛛に覆いかぶせて殺したため、このあたりをカツラギ(葛城)と呼ぶようになったという伝承があります。
土蜘蛛については、先住民の残した記録が残されていないので、どんな人たちが、どんな最期を迎えたのか、謎に包まれたままです。

葛城の地では、土蜘蛛の史跡が二つあります。ひとつは今ご紹介をした高天彦神社の『蜘蛛窟』で、もう一つは葛城一言主神社の境内に建つ『蜘蛛塚』です。蜘蛛塚では、殺害された土蜘蛛の怨念が復活しないように、頭や胴体、脚を別々に埋めた跡ともいわれています。

地元の豪族だった葛城氏の祖先を祀る高天彦神社や、葛城の土地神である一言主(ひとことぬし)を祀った葛城一言主神の近くに、土蜘蛛の二つの史跡があることから、“土蜘蛛”と蔑視された人々は、葛城氏と同じ部族の人々であり、東征してきた神武天皇に屈服することを潔しとしなかった先住民たちなのかもしれません。

蜘蛛窟の石碑には、自分たちの土地を守ろうとして、戦いに敗れた先住の人々の無念の想いが感じられます。石碑は、供養碑のようにも見えます。

“いちごんさん”の葛城一言主神社

“いちごんさん”の葛城一言主神社

写真:沢木 慎太郎

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一言だけなら何でも願いを叶えましょう――

そんな神社が、『葛城一言主神社(かつらぎひとことのぬしじんじゃ)』で、地元からは“いちごんさん”と呼ばれて親しまれています。

祭神の一言主は、日本の神の一柱で、『「悪事(まがごと)も一言、善事(よごと)も一言、言い離(はな)つ神』というお告げをしたことから、願いごとを一つだけ叶えてくれる神様と信じられています。
全国にある一言主神社の総本山が、葛城一言主神社です。

葛城一言主神社には、二つの伝承があります。
一つは、『古事記』に記されたもので、460年に雄略天皇が葛城山に鹿狩りをしていた時、天皇と同じ姿をした人物が現れ、雄略天皇が名を問うと、その人物は「吾は悪事も一言、善事も一言、言い離つ神。葛城の一言主の大神なり」と答えたと記されています。
『日本書紀』では、雄略天皇と一言主神は、葛城山で一緒に鹿を追い、日暮れまで狩を楽しんだと記述されています。

葛城一言主神社の御神木“乳銀杏”

葛城一言主神社の御神木“乳銀杏”

写真:沢木 慎太郎

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もう一つの伝承は、役小角が、葛城山から吉野の金峰山との間に岩橋を架けようとして鬼神に命じて造らせていましたが、葛城山の一言主神は自分の姿が醜いのを恥じて夜だけ働こうとしましたため、役小角が怒って一言主神を呪縛したというものです。

これにはさらに続きがあって、呪縛されたことに恨みを抱いた一言主神は、役小角が陰謀を企んで天皇を滅ぼそうとしていると告げ口しました。
驚いた天皇は役小角を捕らえようとしますが、役小角は五色の雲に乗って自由に空を駆けめぐり、海の上を走ったり、鬼たちを操ったりもできる人物。簡単にはつかまりません。  
そこで、天皇は小角の母親を人質として捕らえました。小角は、母親を釈放してもらうために、みずから囚われの身になったとも伝えられています。
役小角は多くの民衆から慕われており、これに天皇が危機感を抱いたためだと推測されています。

そんな伝承をもつ葛城一言主神社ですが、境内には母乳がよく出るようになるといわれる“乳銀杏”の大木が立っています。
樹齢1200年と推定される老木で、“乳イチョウ”“宿り木”とも呼ばれています。
乳イチョウといわれているのは、幹から出ている根、つまり『気根』の突起物に由来しています。
健康な子どもを授かり、母乳が良く出るようにと、子を想う親の信仰を集めています。

伝承だけが残り、謎に包まれた葛城古道。古代ロマンへと、思いを巡らせる旅はいかがでしょうか。

掲載内容は執筆時点のものです。 2013/02/10 訪問

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